6月 102018
 
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アニメ化決定の「二度目の人生を異世界で」が出荷停止に 原作者が差別ツイート

漫画家の高野千春さん、『二度目の人生を異世界で』の騒動に疑問を呈す「人権という最強の棍棒で人の人生狂わすのか」

先日からの『二度目の人生を異世界で』についての一連の騒動については、やはり「表現の自由」の観点から当の作者の発言を最初に批判した人々を非難したがる人たちがやたら目立つが、やはり私の考えに一番近いのは以下の意見だ。

まさに、過去にこれと似たような発端と展開を辿ったのが東村アキコ『ヒモザイル』の件であり、それについて書いた当ブログの記事も以上の意見とほぼ同様のものであった。

【私事・私感】怒りもまた表現の自由。—東村アキコ『ヒモザイル』休載に関して—

そしてこの『二度目の人生を異世界で』とかいう小説の作者も出版社も、おのれの創り出す「作品」そして「商品」、およびそれに取り組む姿勢においてあまりに安易で無自覚、無為無策に過ぎたと思わざるをえない。確かにストーリー自体はざっと観たかぎりではよくある異世界転生ハーレムファンタジーものの一つといった以上のものではなく、この件で問題視された主人公の前世の経歴というのも単に主人公の最強ぶりを裏付けるための背景設定以上の含みはまったく観られない。つまりはこの作品じたいは是非や左右と問わず何らの思想や政治性を持ったものではなく、要は「冴えない自分の人生を一旦リセットして別の世界で能力も容姿も恵まれて生まれ変わり、周囲とりわけ好みの異性にちやほやされながら美味いものを飲み食いしつつエキサイティングな日常を最期まで過ごしたい」とかいう古今東西無数無限にある自身の現実逃避願望を巧いことソフィスティケートしてそれなりに説得力のある世界観とストーリーへ構築して見せた、というだけのもので、それを現実世界の歴史や思想と絡めて批評したり批判したりというのは大した意味がないのだ。もちろん、そういう願望や動機じたいはなんら悪いものでもない。言ってしまえばもはや古典の域に達している『銀河英雄伝説』にしたところで、質量ともに遥かに洗練され高みにあるものとはいえ、元をただせばまさにこのような願望のはるか延長にに創り上げられたものだろう。

しかし、これまたドラマ化で物議を醸している『幸色のワンルーム』なども然りだが、作品内容や作者の信条や人格がどのようであれ、同好の士が集ういち投稿サイトのみの人気や支持で留まっていれば当人たちにとっても世間にとっても何ら害は無かったのだが、それが大手出版社の目にとまり、「一般」社会の「一般」的な常識と感性と倫理観を備えた「一般」の人々の目に広く触れ、あまつさえ現実に実際に作品内のエピソードに酷似した事件の(しかもまだ未成年の)被害者が存在し、あるいは海外それもかつて自分が侮辱し罵倒した国の国民にもその内容が伝わりなおかつわざわざ作者の過去のネット上の発言まで検索しだすような熱心な読者が現れる可能性というものを、当の作者も出版社も一切想定できなかったのだろうか? おそらくまだ二十代前半とおぼしき作者たち、ことに問題の発言の当時には高確率で未成年の学生だったと思われる『二度目の…』作者はまだしも、すでに中韓などの国外に事業を展開して久しい出版社側が元からこれらの予想や配慮を欠いていたことこそが一番の問題だろう。相応の対価と評価を得るべくあまねく「作品」そして「商品」として一般に広められたものに対してはどのような立場からどのような感想や感情、評価や対応も等しく述べる権利があり、それは「表現の自由」とまったく同等のものなのだ。

結局『二度目の…』に関しては当の作者が作品および過去発言に対してあっさり謝罪して取り下げたことがすべての回答である。作者自身がその作品を本当に愛し、その信条もいまだ一点の曇りも無く真実であり完全に正しいと信じているならば、上掲の意見にもあるとおり、いくらでも出版社や媒体を変えるなりして主張すれば良いのだ。現に『ど根性ガエルの娘』の作者などは自分が望む通りの信条とテーマを貫くために、以前の出版社や編集者への不義理や今後のリスクも承知し引き受けた上で移籍し、そのうえでおのれの過去含めた生の思考感情を全力で曝け出しながらリアルタイムで連載を続けている。むしろ、それくらいの覚悟と気概なしには商業的な成功どころか業界での生き残りも覚束ないのではなかろうか。たとえば、助成金やら権威のある賞やらを上手いこと貰いつつも真っ向から児童虐待やネグレクト、万引きなどの犯罪を真っ向からテーマにした作品を次々に創り上げている映画監督のようにだ。

作者の人格や信条と「作品」は切り離して受容すべき、という意見はあるし、私も基本はなるべくその姿勢でいくべきだと思ってはいるが、実際のところ『二度目の…」のようなライトノベルなどの創作物、それも「娯楽的」な作品それも若年層に広く親しまれるジャンルほど、作者の見識や教養などがより強く投影されそして要求されるもので、またそうであるべきものであると考える。むしろアイドルや俳優声優などの方が程度や演出のベクトルの違いはあるだろうが、曲がりなりにも「演じている」というコンセンサスが成立しうるし、演じ手と受け手双方にとってプライベートと公式のキャラとの切り替えはしやすいのではないか。これが小説やマンガ、映画そして音楽などの創作物となると、その創作の発想や作業そのものやけ手の受容の手段も現場もおおむね心身ともにきわめて私的な領域で行われるからである。

これが、いちおう「純」文学やファインアートなどの分野ならば、あらかじめ受け手の側にも心身ともに成熟した層をターゲットにしているし多少常識や倫理から逸脱するような表現でもそれなりに冷静な受容や判断が可能と思われるからだ。しかし、ライトノベルなどを読むような心身ともに知識も経験も乏しく、しかし感性と自意識の強烈な年代の層はその作品に描かれ秘められた(作者の)思考や倫理や価値観なりを無自覚に内面化してしまう可能性が高い。だからこそその作者には少なくとも想定する読者以上の理性と見識が必要なのだ。まさに『銀河英雄伝説』にしたところで執筆同時は今でいうところのライトノベルのような扱いではあったが、言うまでもなく作者の東西とくに中国の歴史や古典に関する膨大な知識と見識がその世界とドラマの土台そして骨組になったもので、ゆえに30年以上過ぎた現在でもコミカライズやアニメ化がされるほどの不動の評価と人気を保ち続けているのだ。もしその作者自身が若く未熟で無知だというなら、まず出版や編集の側がおのれの見識や知識を動員してそのフォローを率先すべきだ。それが、作者も出版社も、自分のところの「商品」の価値を損なわず長引かせ、つまるところこの現実世界において、自分たちが生み出したキャラクター同様の名声と賞賛を甘受しながら美味いものを飲み食いしつつエキサイティングな人生をまっとうするための最良の近道なのだ。

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