8月 262016
 
Pocket

これ、俺が悪いの!? これ、俺が悪いの!?

『駅で電車を待って並んでいたらカップルに割り込まれたうえ、そのカップルの男の方に足(靴)を蹴られる』という仕打ちに遭い、その衝撃と怒りを帰宅するなり同棲している彼氏に吐露したところ、当の彼氏からあっさり「お前に問題があったんじゃないか」などと返された彼女が激怒した……というエピソードで、当然ながら「悪いのはお前(彼氏=投稿者)だ」というコメントが殺到している。もちろんこの私も『女性ってみんなこんな感じなの?』と聞かれたら「おっしゃる通り、そんな感じですよ。確かにあなたが全面的に悪い。泣きながら殴られまくってもやむなしですね(`・ω・´)」としか言いようがない。 だいたい手前勝手な憶測で相手の方に非があると決めつけ、目の前で傷つき怒っているおのれの彼女よりも見ず知らずの無礼千万なバカップルどもの肩を持つような真似事をしたのだから。なによりこの文章全体を通してこの彼氏、てまえの彼女のことをおのれの脳内で一般化された有象無象の「女性」の一部として切断したきり、当の彼女のことを他ならぬ自分を慕いともに暮らす生身の一人の女性、そしてひとりの個人として向き合っていないのだ

思い起こせば私などもその昔、一人住まいをしていた頃の真冬の時分にタチの悪い新聞勧誘員にうっかり引っ掛かってしまい、販売店に連絡したところ何故か店主に逆ギレされ説教され、その後に必死こいてクーリングオフの手続きをしたものの、予期せぬアクシデントから来た動揺、自分の時間を理不尽な行為で奪われたやりきれなさ、おのれの迂闊さに対する自責の念などの精神的なダメージからくる疲弊は少なからぬものがあった。そんな矢先にさる知人男性から連絡が来たのでさっそく以上の災難を訴えたところ、はたして、「ああ、今は不景気だから勧誘員は必死だろうね」「片や、ああいう人たちを使ってる新聞社の連中は年収何千万も稼いでるんだから、まさに階級社会だな」「俺の同期の○○なんか、今はあの新聞社の社員で最近家を建てたらしいからなあ……学生の頃はしょぼい奴だと思ってたのに上手くやってるもんだな、ほんとはあいつの方がせいぜい勧誘員レベルのはずなんだけどな……」とかなんとか呟き続ける一方で、この私がついにブチ切れるまで碌にこちらの話すら耳に入れてなかった……という一件に見舞われたことがある。

それまで長年さんざん上から目線で説教や反論を繰り返され、ときに無茶な注文にも極力付き合い、そしてその対応や言葉に対して駄目だしはおろか突然訳の分からないキレ方をされても、確かに自分にも落ち度はあったのだからとやり過ごし、それなりに尽くしてきたというのに、そんなこちらがいざ災難に巻き込まれたときにはこの態度。かかる事態においては、この男の脳内ではこの私の位置づけというのはそこいらの押し売りのおっさんよりも共感にも同情にも値しない、そのうえ方向性はともかくそれなりに頭や気を働かせて苦言や異見の一つすらもひねり出してやるほどの存在でもない、とりわけこの一件に関しては単なるモブキャラ並みの扱いなのだ……とか思うと心底みじめさと情けなさに打ちのめされたものだ。

『修羅の図鑑』 『嘆きの天使』より (c)山田花子 青林工藝社

『修羅の図鑑』ルリ子とケンジシリーズ「外食」 『嘆きの天使』より (c)山田花子 青林工藝社

女性一般が相手に共感を求めがち、というのは確かにその通りだろう。しかし女性側にしては別に他者、ことに男性からの意見を聞きたくないわけでも、解決を拒絶しているわけでもない。まず「共感」を優先して求めることで、目の前のパートナーなり友人なりがまずは自身の「味方」であることを確認しておきたいわけである。現実として女性は総じて体力面で男性に比して不利であり、ために身を守るためにより心を開き信頼できるパートナーシップを求める。これは必ずしも女性のみのエゴや甘えのみではない。その女性たちがそのパートナーの男性と後々もうけるかもしれない、そしてそうなれば命がけで産み落とし苦しんで守り育てねばならない将来の我が子のためでもあるのだ。自分以上にか弱く、そして自分の意志を上手く訴えることができない子供の気持ちをある程度おしはかり、そして率先して(自分も含めて)守る意志を持ちうる相手かどうかを探る本能が組み込まれているのだ。

要は相手(男性)自身の「論理」、さらに言うなればおのれの「論理」を通し相手に受け入れさせたい、というエゴよりも、自分たちへの思いやりや献身を優先できる相手かどうかを無意識に見極めているわけだ。冷静な事態の分析や客観的な意見、対策などというものはそれこそ赤の他人でもできるものだし、自分が落ち着いてからじっくりその道に詳しい知人なりにでも尋ねればよいわけで、他ならぬおのれの心身を預けうる無二の相手には、何を置いても自分の傷や苦境、危機の中にともに身を投じ、分かち合ってくれるほどの存在であって欲しいのだ。

もっとも、以上に挙げた事例はやはり「男女の感覚の違い」以前の問題だとは思えるが。それこそひとりの人間としての客観的な判断力や公平な視点、そしてごく一般的な良識さえ持ち合わせていれば、このような対応はまず有り得ないはずなのだ。現に冒頭に取り上げた記事に対するコメントにも、男性からと思われる辛辣なものが散見される。そして、ふたたび思い返せばうちの母親なども、よってたかって殴る蹴るの暴力を受け泥と埃にまみれて帰ってきた小学生の娘に対して、何故か癇癪を起こして手にしていた洗濯物を投げつけてきたり、その娘が長じて帰宅途中に通りすがりの男に体を触られたと聞いたら真っ先に「気を付けなさい、あんたはいつもどっか抜けてるし、たまにぼんやり歩いているんだから」とか返すような手合いだったから、男女問わず相手への共感や立場を慮る能力というのには質や差があるものなのだろう。結局は個人それぞれの想像力や良心、そして理性の持ちように掛かってくる、ということなのだ。

 

Pocket