7月 172017
 
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障害者を助けようとしたらさんざん振り回されて、お金も渡すことになってしまった話がつらい – Togetterまとめ 障害者を助けようとしたらさんざん振り回されて、お金も渡すことになってしまった話がつらい - Togetterまとめ

先日からネット上で話題になっているこの一件、障碍者うんぬんというよりは相手の善意につけ込んだ極めて悪質な犯罪行為以外の何ものでもなく、専らこの卑劣醜悪極まりない人間、言い方は悪いが女の最も劣悪な部分だけを集めて腐敗しきってヘドロのごとく澱んで底なし沼のごとく溜めこんでいる存在(男だけど)に非があり、このような輩こそ、それこそ大半の必死で自立自活している「障碍者」および真摯にその支援に努めている方々のためにも、社会の側が総出で一致団結し徹底的に非難糾弾して浄化にあたらなければならないと思うが、この手の事例が挙がる度に必ず湧いて出てくるのが「どうしてさっさと断って逃げなかったのか」「流されて言いなりになって金まで巻き上げられている方がバカ」とかいう「世慣れた大人」たちの苦言?なりご高説である。

確かに、こうして安全な状況にして冷静な思考判断が可能である立場の傍観者であるところの我々の側からは、この件での被害者といえる彼女が「断る」「逃げる」タイミングはいくらでもあったようには見えるし、まして数千円もの金を通りすがりの赤の他人に寄付する義務も必然性もなかった。それは確かにその通りで、ひとえに自衛のためには「断る」権利は十二分にあり(けっして「義務」ではない)結局それを行使できなかったのは彼女の弱さであり判断の拙さだったかもしれない。しかし、少しでも当の彼女の立場に、主観に立って想像してみてほしい。おそらく地方から上京して独り暮らしをはじめたばかりの身の上、そして未だ慣れない土地での単独の外出という心細い状況のおそらく若干20代前半の女性が、その慣れない場所でいざという時助けを求めることができる身内も知己もいないという立場で、突然に異様な風体と異常な言動思考で強引に迫ってくる他人それも「障碍」ありとはいえども歴とした成人男性に対して、何の心身の動揺も混乱も持たずに、こうして安全な状況にして冷静な思考判断が可能である立場の傍観者であるところの我々と同様の適確な判断ができるものがどうか、ということだ。

件の彼女の報告をたどっていけば、彼女を怯えさせ迷わせ決断を鈍らせた元になっているのは(非難側が言いつのるところの)半端な?善意とか体裁とかいうよりも、ひとえに得体の知れない予測不能な存在と異常な事態に対する混乱と恐怖心だったように思う。ほんらい、大抵の人間は自分の常識外の事態に出くわしたりすると、その事態や対象への怒りとか抗議と拒絶とか逃走とかいう発想よりもまず困惑と不安、そして恐怖がまず先に出てくるものだ。言うなれば突然現れた底なし沼のごときもので、当人が「気付いた」時には、当人が自力ですでに逃げるとか拒むとかいうのがそう簡単な状況ではないのである。

加えて、この加害者の男には単なる「障碍」からくる弱さや甘えという以上に、一般の「健常者」とりわけ心身ともに健康で真っ直ぐな若い異性に対する悪意や怨念を感じる。こうした類の歪んだ性的なものも含んだ、おそらく積年の鬱憤により一層に腐敗し醸成されたその怨念なり悪意なり狂気というのは、その不条理さ自体がそれをまともに向けられ、否応なしに対峙させられた相手をより底知れぬ恐怖で打ちのめすものなのだ(おそらく男女逆のシチュエーションでも有り得る)。そして、当然ながら今までそうした悪意や怨念とは無縁に生きてきた、まさに常識と善意を充分に備えた健全な人ほどそのダメージは大きいわけだ。そんな状況下でむしろ下手に拒絶したり逃げたら何をするか分からん悪意と怨念そして狂気の塊のような相手に対して8000円ほどくれてやることでそれ以上の身の危険、さらに言えば命の危機を自力で逃れ得た彼女はまだしも賢明なほうだと言える。

いまだに後が絶えない「振り込み詐欺」についても、そうそう世間に愚かで迂闊な老人ばかりが溢れているというわけではないだろう。むしろターゲットにされるような相応の蓄えがあり成人した子供たちや孫たちとの関係も良好な、事故や犯罪などのトラブルとも無縁に堅実な良識ある人生を送ってきた老人ほど、かりにそうした事態を平穏な日常の中にとつぜん聞かされれば動揺するものだし、子供や孫を信頼しその身を案じていればこそ「万一」の事態を想定し気遣ってしまうわけだ。そして、そうした堅実で善意に溢れた人々の精神にピンポイントに侵入し喰いものにするのが「振り込み詐欺」の犯罪グループだったり件の「障碍」を騙り利用する輩であるのだが、そんな連中の底無し沼のごとき悪意や怨念の元になっているのが、彼らの世界そのものに対する憎悪であり、そんな世界の悪意を助長するのが他ならぬ、彼らの悪意の沼に運悪く嵌まったり嵌められたりしてしまった善意の人々に対して苦言や説教という名の悪意でもってマウンティングを仕掛けてくる、それこそなけなしの善意と引き換えにそこそこの世間智と図太さと冷淡さをまんまと手に入れた気になっていて、それこそ世界の悪意とも怨念とも無縁であまたの底無し沼からの腐臭にも平然と通り過ぎてこられたような(そして平然と梨や焼肉を食える)連中なのだ。

かくいう私は善意や献身も対して持ち合わせない愚かで小心なだけの人間であり、したがって件のような事件には巻き込まれない代わりにエステやマルチや宗教の勧誘にはしょっちゅう引っ掛かっていて、その度に苦言や説教およびその体裁を纏った苦笑や嘲笑などをさんざん浴びてきたのだが、しかし、だからこそ、困っている赤の他人に手を差し伸べるという行為が半端な見栄や体裁のみでできるものではなく、相応の勇気と覚悟を要するものであるということは断言できる。そして一度でもその善意と勇気で他者にあたり、そして不運にも傷を被った人々に対して無思慮に責めるような輩、悪意という名の底無し沼から辛うじて這い出して逃れてきた善意の人に対し、そろって団結し徹底しててその底無し沼を浄化し埋め立てようと考えるのではなく、善意から沼に足を踏み入れた人々に対してその沼からのヘドロに塗れた姿を滑稽だと呆れ嗤い、その腐臭と迂闊さを責め立てるような真似だけは絶対にしたくないし、少なくとも私にはそんな資格はないのだ。つまるところ私がこの世界で「悪意」以上に忌み嫌い憎むものはひとえに『善意への軽蔑』なのである。

結局、我が身を振り返ってみても悪意や怠惰には靡き走りやすいし恐怖には簡単に屈するが、本当の意味での善意を貫き通す覚悟というのはなかなか持ち得ないものだ。しかし、なればこそ、そのようなおのれの内の「悪意」を常に忌み嫌い憎む側に立ち、そしてささやかな善意に対する敬意や庇護の念を常に持ち続けなければならないのだ。したがって、それらを冷笑するような下手な現実主義や通俗なリアリズムなどはこの現世の人類にとってはまさに百害あって一利なし、この現世の人類すべてが最も早急に唾棄すべきものである。

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