7月 022018
 
『マラーの死』ダヴィッド
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先日に発生した、主にネットサービス「はてな」上で活動していた有名ネットウォッチャー「Hagex」氏が同じく「はてな」上で「荒らし」をしていた通称「低脳先生」なる41歳無職男性に刺殺されるという事件は、ネット上のブログ界隈はおろか大手メディアが少なからぬ紙面と放送枠を割いて取り上げるほどの衝撃的なものとなった。そして、この事件そのものが90年代末からのインターネット普及期からのテキストサイト、旧2chなどの匿名掲示板を経て個人ブログへと至るアマチュア的な、いわゆるサブカルもしくは(大手メディアとそのコンテンツなどを含むメインストリームへの)カウンターとしてのネットカルチャーの終焉を象徴するものとして、そう遠くない将来から意味づけられ大衆文化史の一コマとして、相応の意味と重みを持って扱われ思い起こされることになるだろう。もっとも、当のHagex氏はこんな形で社会にあまねく「有名」になり名を残すことなどまったく予想しなかっただろうし、まして望んでもいなかっただろうが。

私自身も一時期Hagex氏のブログ記事はよく見かけて楽しんで読んでいたしそれこそブックマークもコメントも幾つかしていたから、事件の一報を聞いたときには少なからず驚いたし胸が痛んだが、最近、たまたま見かけた以下の記事などから、フランス革命時のジャン=ポール・マラー殺害事件と相通じるものを感じてしまった。

IT講師殺害、元九大生の容疑者「地味で真面目」

シャルロット・コルデー – Wikipedia
暗殺の天使シャルロット・コルデー 絶世の美女を凶行へ駆り立てたのは何だ?
シャルロット・コルデーとは (シャルロットコルデーとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

ジャン=ポール・マラー – Wikipedia

私はだいぶ昔にたまたまマラー殺害犯の女性・シャルロット・コルデーの伝記(『マラーを殺した女―暗殺の天使シャルロット・コルデ』)を読んだことがあり、上記の記事などは主にそれを元にしていると思われるが、以上にざっと目を通していただければ彼女が犯行に至った概要そしてその背景が掴めるだろう。そしてそれは、片や18世紀の激動のフランスの若い貴族女性、片や長い不況を経てジリ貧とはいえまだそれなりに安定?した21世紀日本の無職中年男、といえば相当の隔たりがあるように見えるが、おそらく裕福ではないにしても(当時の)社会ではかなりハイレベルの知識・教養を身に付けられる生育環境にあり、まだ自身もそれだけの知性に恵まれ、長じるにつれて相応以上の自負を持ち続けながらも元々の属性や自身の気質に加えて「時代」による不如意もあって、そのせっかくの「教養」を活かせる機会も場所も得られないまま生まれ故郷の片田舎で鬱屈を抱え燻りながら暮らしていたが、やがて潰しの効かなくなった年頃になってから辛うじて得ていた唯一のささやかな居場所(修道院とか職場の工場?とか)にも居られなくなり、まったく将来の展望が見出せない状況に……と描いてみれば、この「彼女」と今回の事件の「彼」との精神構造にはかなりの共通性が感じられてしまうのだ。

そんな閉塞した前半生を過ごしていた「彼」のほうにとっては、おのれの逼塞する地方の小都市から曲がりなりにも外の世界へ開かれ、あわよくばおのれの停滞し埋没していく一方の人生から脱出する希望となりうる随一の手段であり場所がネット、それも「はてな匿名ダイアリー(通称:増田)」のようなコミュニケーションツール・サービスだったり、何より新たな個人発信用メディアとしてのブログであったのだろう。それも近年そのブログを利用して「アルファブロガー」そして「プロブロガー」と呼ばれて世間に認知されるばかりか名声を得て時の人となり文字通りのフォロワーや崇拝者、そしてもちろん相当の収入も得ている人々というのは、まさにおのれの希望の星に留まらず、新たに目指すべき目標であったのだ。「彼」がしきりに擁護したがっていたというイケダハヤト氏やはあちゅう氏などはおそらくコルデーにとってのジロンド派議員のようなものであり、しかしそんな彼らのことを同じく著名ブロガーでありながら彼らと相容れず真っ向から対立する思想スタンスを固持し、しかもその立場と手段を「悪用」して繰り返し「揶揄」している(ように見えた)Hagex氏などは「彼」にとってはまさしくコルデーから見たマラーのごとき「悪魔」「血に飢えた狼」に等しい存在にまで膨れ上がっていったのではないか。そんなところへ、同じく「はてな」に集う周辺のユーザーたちから寄って集ってあたかもジャコバン左派のするごとく冷酷に罵られ嘲笑され焚きつけられた(もちろん「彼」の主観による認識である)ところへ、これまた絶好そして最悪のタイミングでその諸悪の根源、すべての元凶というべき当人が「彼」の生活圏内に入ってきてしまった……。

岡本君のこと

もちろん、現実のHagex氏こと岡本顕一郎氏は「彼」が見做していたような傲慢な権力者にして冷酷な極悪人ではないどころか、公私ともにさまざまな知己や友人に恵まれ、実社会では紆余曲折ありつつも一編集者そしてWebエンジニアとしてのキャリアをひとえに地道な努力で重ねてきた、というだけのごく「普通の人」であった。もっとも、最後まで運営していたブログからの情報のみでも相当に拗らせたサブカル嗜好のそれも件の「彼」と同年代(したがってこの私とも)と思しき人物であることは十分に察せられたし、しかも奇しくも「彼」と出身地がほぼ同じとなれば、むしろ氏と「彼」の人生そして内面はむしろ紙一重の違いしか無かったのかもしれない。

おそらく「彼」らは少年期、小中学生時代ぐらいまではそれなりに成績の良い利口な生徒として通っていて、それに相応の自負も希望も内心育ててきただろう。しかし周りを見回せば、そんなお利口な自分よりもスポーツで抜きんでて活躍できたり、見目やセンスが良く明るく話し上手だったり、単に腕力があったり押し出しの強い子供たちのほうが男女問わず友達が多く教師の覚えもめでたく、したがって常にクラスの中心で力を握り脚光を浴びており、よほど楽しく幸せな日々を送っている。ただの「お勉強」ができるだけでは、おのれの幸福においては寄与しないし、まして「真面目で地味で大人しい」なんて気質は致命的なマイナスにしかならない。しかも、高校大学と進むにつれて、その随一の取り柄であり拠りどころだった「お勉強」の分野でもさらにはるか上を行く秀才そして天才はあまた存在して、しかも「お勉強」も難なく軽々とこなした上で見目もセンスも良く明るく話し上手で、そして押し出しも要領も良いという人間はいくらでもありふれていることを思い知って愕然とし打ちのめされる(「彼」のほうはスポーツにも真面目に取り組んでこなせたようだが、それだけになおさらその辺りの現実には敏感になっていったのではないか)。自分が曲がりなりにも努力して手に入れてきたなけなしの財産が、黄金が、実はメッキをほどこした鉛だったにすぎないと思い知らされる。

そして彼らは通り一遍の「お勉強」の分野ではなく、まったく別の新天地、辛うじておのれが誇り築いてきた知性教養が活用できそうな分野に活路を見出そうとする。それが「彼」にとってはおそらくイスラム文明の世界であり、Hagex氏にとっては当時隆盛を極めていたサブカルチャーであったのだろう。彼らはおのれが後生大事に取っておいた鉛を黄金に替えて一気に逆転する錬金術をそれらに探し求めたのだ。しかし、言うまでもなくこれらの領域はそれこそ「お勉強」の分野よりはるかに膨大な知識教養の研鑽に加えて、鋭敏な感性と洞察力等々を要求される世界である。加えてもちろん実社会における市場規模は微々たるものであり、要はよほどの天才でないかぎり、世間での成功どころかまともな生活も成り立たないのである。かくして、彼らはふたたび壁に突き当たり超えられないまま、さらに実社会のメインストリームからなし崩しに遠ざかって行く……。

それでも片やひとりはその途上で抱えていた鉛を投げ捨てながら、どうにか抜け道を探しだしあとは地道に遠回りながらもメインストリームが視界に見えてきたところだったわけだが、片やひとりはそのままさらに増え続ける鉛の塊を引きずりながら錬金術を求め続けたあげく、もっとも危険な最悪の手段に手を染めてしまった。しかし、当然ながら「彼」が望みどおりの黄金を手にすることはもはやない。「彼」はシャルロット・コルデーのような、ある種の人々のアイドルやヒーローとして見做され憧憬されることもないだろう。それは「彼」がコルデーのような若く可憐な美女でなかったことはもちろんだが、何よりコルデーの行為が一貫して彼女自身の知識教養と感性によって築き上げた確固たる、そして曲がりなりにも世界や実社会に向けての信念や理想に貫かれたものだったのに対し、「彼」の発想といえばただただネット上の一サービスのコミュニティに過ぎない空間の中でおのがルサンチマンのみに基づく怨念からの幼稚な罵詈雑言ていどのものであったのだ。「彼」は結局みずからが産み増やしていった膨大な鉛の塊を引きずり引きずられたまま、図らずも有り得たかもしれないもう一人の自分を一方的に赤の他人に見出してうらやみ憎悪し、勝手に巻き込んで絶壁から落ちていっただけで、言うまでもなくコルデーのギロチンへの迷いなき堂々たる歩みとは比べようもないものだ。

しかし、とにかくもHagex氏当人にとってはその最期というのは当の「彼」以外にとってはまったく正当性も因果も必然も無く、明らかにまったくの不運であり理不尽以外の何ものでもなかったのであるが、あるいは「彼」が「低脳先生」ではなく松本英光というリアルに生きて存在してきた個人として、これまた辛辣で偽悪的なネットウォッチャーとしてのHagex氏ではなく、同じく喪われていくだけの不毛な時代と社会の空気の中でそれでも40年あまりの歳月をともかくも生きてやり過ごしてきたひとりの生身の人間そして男であった岡本顕一郎という個人と対峙することができたなら、もう少し違った展開は有り得たのかもしれない。もっとも、さらなる近親憎悪による断絶と暴発を招いた可能性も大きいが(少なくともHagex氏の側にはそこまでの義務も義理もなかったのだし)。

以上のような悲劇を未然に防ぐにはどうしたらよいか、さまざまに良識と理性と知識教養をそなえた人たちが真摯に考えてはいるのだが、大した知識教養はおろか良識も理性も身に付けてこなかった私などには、どのような手段も解決もまったくもって見い出せないし絶望的なものだ。なにより私自身が「彼」とさほどの変わりのないどころか性別以外はまったくもって「彼」としかいいようがない存在なのだから。かくのごとき人間たちがこの現実社会で残された時間を、社会に極力負担を掛けず他人も傷つけずに、しかしやっぱり自分自身も極力苦しまずやり過ごすにはどうしたらいいのか。やはり、何だかんだでこれまでの人生でそれなりに生み出してきた黄金なり鉛なり石なりを、少なくとも自分自身にとってはそれなりに意味のあるものとしてあるいは愛おしみながらひとり抱え込むなり、あるいはひっそりどこかへ埋葬したり沈めてしまうしかないのかもしれない。

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