9月 092014
 
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PeterRabbit

「さあ、おまえたち」ある朝、うさぎのお母さんは言いました。「おまえたちは野原や小道に遊びに行ってもいいわよ。でも、マクレガーさんのところのお庭に入ってはだめよ。あなたたちのお父さんはあそこで事故にあって、マクレガーの奥さんにパイの具にされてしまったのよ」

以下の記事は、最近の私の失敗経験が元になっていますが、一般的な事例にもある程度汎用できるように書いたつもりです。どうにも具体的な例が出てこない(出せない)ので、一体何のことやら分からない人が殆どの記事になると思いますが、それとなく分かる方には分かると思います。分からない方は無視していただいて分かりません。その方が健全だし幸福なのです(ヒント:「炎上」)。

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「君子危うきに近寄らず」— 訳あってここ数日ほど、この諺の意味をつくづく反芻し、そして自戒することしばしばだった。そして一時は自己嫌悪に陥ること甚だしかった。手前勝手な「善意」と正義感で、全く空気を読まずに視野狭窄なまま暴走して、結果、事態を好転させるどころか却って悪化させ、相手を怒らせ自分も碌な想いをしない、という事例は、他ならぬ身内からとこの自分とでさんざん身を持って経験して思い知っているはずなのに、つまるところ私もまた「(負の)連鎖」を体現してしまったわけだ。

いや、このお二人は事情が事情だし、何より心底お互いを思いやる故の行為であり、アクシデントだったわけだが……)

大半の賢明な方々は、消火の知識もレスキューの知識も碌に無いのに、対岸の火事にわざわざ単身で飛び込んでいったりしないものだ。せいぜい安全な対岸で黙って観察して「ああ、あれはもう手の付けようが無いな……素人じゃ無理だ」「自分の家もあんな風に燃えないように、火元の管理や始末を気を付けないとな……」というように、己を顧みる案件としてのみ持ちいているわけだ。それに気付かず、身の程知らずにも、頼まれもせず望まれてもいないのに、していないのに着の身着のままで向こう岸に渡って炎の中にもろに素手を突っ込んだ挙げ句、案の定、さんざん火の粉を被って逃げ帰る、いい歳になってそんな情けない愚か者がこの私だ。ま、如何せん、愚者は経験からしか学べないのでね……。

しかし、経験を無駄にしないためにも、たとえ無い知恵を絞ってでもその「経験」振り返ることは必要だろう。

とあるサイト(現在休止中)に映画『羊たちの沈黙』にかこつけた、この手の事例の的確な対応法らしきものが書かれていたので、ちょっと引用してみよう。こちらの批評があまりに的を射ているところが多くて、おかげで私などがあれこれ拙い文章でおぼつかない思考を連ねる余地がほとんど無くなってしまった……取りあえず、ピンポイントな所だけ自分用に抜き出してみたので、賢明な諸兄諸姉にはこちらだけを読んだ方が、よほど得るところが大きいかと思われます。(※太字筆者)

http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/08-01/08-01-18.htm

特定の事件なり事案に対して、興味を持つということは、その興味に至る土壌があるということ。それは心理的な共通性であることが多いわけ。

捜査官のクラリスは、父娘家庭出身なので、ちょっとファザコン気味。そして母性というものと接するのにぎこちない。父の死や、羊を助けられなかったトラウマから逃げられない。
だから、「自分は変わりたい!」と思っている。

そして、犯人も過去のトラウマにとらわれていて「自分は変わりたい。」と思っている。そしてマザコン気味。だから女性の皮膚を集めて、それをパッチワーク して服を作り、母親を再現しようとしているわけ。そしてその服をまとうことにより、母親の胎内に回帰して、「生まれ変わる(re・born)」ことをもく ろんでいる。

確かに、その対象や事例に関心や執着を持ってしまった時点で、既に根底には似たような気質が抜きがたく有るわけで、傍目にはしょせん同類にしか見えないだろう。結局、自分の欠陥やトラウマを自己投影して、勝手に入れ込んだり腹を立てているに過ぎない。全ては鏡の向こうの己に対してしたことだ。藪蚊は汚水にしか卵を産み付けられないし、コバエは生ゴミに集るのだ。「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」……では、こうした己の性根を改善しもっとレベルアップさせるには具体的にどうしたら良いのか?

レクター博士が新人のクラリス捜査官に対して、クラリス自身の過去を語らせるのは、自分の過去を客観的に見ることができているのか?自分自身と向き合える精神的な強さがあるのか?その点を見ているわけ。自分の過去を見つめる覚悟がない人間は、自分と重なる発想に接すると、感情的な拒否反応になってしまって、説明を理解するどころではないでしょ?まずは、自分自身の「見たくない」面を見つめられるか?その覚悟を見ているわけです。

自分自身を見つめることができるがゆえに、そして、厳しい指摘にも耐える覚悟があるがゆえに、事態を解決できるわけ。精神的な強さや、覚悟がない人間などは相手にすると、相手をする側にしても、危険なだけなんですね。

つまり、自己欺瞞こそが諸悪の根源、と……。その通り、まず、自分自身の恥部や厄介ごとを放置してばかりだから、何時まで経っても私の仕事ははかどらないし、部屋は何時まで経っても汚部屋なままなのね(^_^;)……さて、この現実的にも観念的にも、この(トラウマという名の)腐海からは、如何に己をサルベージすればよいだろうか。

自分が見つめた過去の痛みの分だけ、克服した痛みの分だけ、知恵や情報も得ることができて、前に進むことができるわけ。逆に言うと、犯人は、その自分自身の痛みから逃避して、他者を痛めつけているから、犯罪者になってしまう。

そう、過去の出来事や失敗を悔やんだり、傷つけた相手を恨んでるだけじゃ駄目なのだ。それらにはどういう態度で臨むべきか。

クラリスは、「絶対にこの事件を解決するんだ!」という強い意志がある。
そして、自分自身を客観的に見つめることもできる。
そして相手に対しても、ごまかしをせずに誠実である。

確かに、意志も客観性も誠実さも脆弱な、まして当然レクター博士のような天才でも無ければ、クラリスのような知性や能力や強靱な意志も皆無なこの私、自分の部屋も頭の中も人生も碌に片付けられない人間などが、他人の人生を救える、変えられるなどと考えること自体が無謀だったわけだ。まあ、今後のためには、後悔はせずとも反省は大いにする、ということで取りあえず収めよう。他人の家の火事よりも、まず自分の庭の羊たちを守ろう。

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全ては己の内に在ると認識してごらん
誰一人として他者を変えられない

君が己の拘りを超えれば見つけられるかもしれない
心の平安はそこに待っている

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