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(更新:2014年12月7日)

【エッセイ】「床屋の井戸」はどこに掘ればいい? —愚痴を吐く側、聞く側の言い分—

Donkey_Ears

先日、こんな記事を見かけて読んだ。

SNSで愚痴を言わないようにしたほうがいいというアドバイスが死ぬほど SNSで愚痴を言わないようにしたほうがいいというアドバイスが死ぬほど このエントリーをはてなブックマークに追加

法律に触れるような内容や、裁判になりかねないような差別的内容の発言をすれば、たしかにそれはやばいっていうのはわかる。

でも、対象の相手を明らかにしていない愚痴を月に一度くらい思いっきり書いたくらいで、それはどうなんだろうって思う。

私が愚痴を言う事で、それを見た人が傷ついて、私から遠ざかるっていうことはあるのかもしれない。でも、たまの愚痴ですら聞き入れてもらえないような人にまで、私に親しみを感じてもらう必要は感じていない。

私自身、人の10倍は陰湿で愚痴っぽい人間なので、こちらの記事には大いに共感すると同時に、反面頭の中には異論もいくつか出てきたりして、何とももやもやした気分になった。実際コメントも賛否両論なのだが、それらのそれぞれ相反する意見にいちいち肯けてしまったりする。

およそ一般の社会やコミュニティでは、愚痴を人前で、それも長々と吐くことはあまり好ましくないこととされている。例えリストカットほどでなくても、本来自分とは関わりの無いはずのネガティブな物事を自分の目の前に放り出されてしかもそのまま放置されたまま、という状態には、大抵の人はあまり忍耐ができないのだ。愚痴というのは、言わば精神の吐瀉行為のようなものだ。愚痴を吐いてる本人にしてみれば、すでにその愚痴を吐いた時点で目的は達成されてしまっているのだが、他人の撒き散らした汚物を見せつけられ、その臭いを嗅いでしまった通りすがりの人間にとっては、そのまま何ごとも無かったかのように通り過ぎ、忘れてしまうというのは意外に難しい。例え気に掛けまいとしても、一度嗅いでしまった臭いはこびり付いて離れてくれないし、まして服にでも汚れがついてしまったりしたら、その元凶に対して苦言や文句の一つでも言ってやりたくもなるのだ。

まして、その吐いている人間が見るからに苦しげな表情でうずくまり呻いていたりしたら、大半の人はそれなりの親切心や正義感は持ち合わせていたりするし、そういう事態が目についてしまったら、よほど多忙か、薄情極まりないか、徹底してドライな個人主義、自己責任主義者でも無い限り、通りがかった者としてはどうしても励ましや慰めの言葉を掛けたくなるし、場合によっては手も出したくなっ てしまうし、そして、その「吐き気」の原因を己の経験や知識に照らし合わせて思い当たったりすれば、それなりの苦言や忠告の一つはしたくなってしまうのだ。その衝動や欲望は、それこそ愚痴を抑えられず、その苦しみを解消しようしている最中にさらに追い打ちをかける様な真似はしないでそっとしてもらいたい、という側の感情とはほぼ等価なのだ。

そういうわけで、吐瀉や排泄はやはりそのための設備や場所でするのがお互いにとっての平和のためだ。ネット上のツールに例えてみれば、公開のSNSが公共の大通りや広場だとすれば、非公開SNSや鍵付きのブログは裏通りのスナック、公開のブログは通りに面した庭ぐらいの感覚だろう。匿名掲示板やダイアリーは文字通り「便所の落書き」だ。つまり、どうしてもネット上で愚痴を吐きたければ匿名か、若しくは極力不特定多数の目につかない、よほど気心のしれた人間のみが集まる場でやることだ。そして、もし他人の吐瀉物や汚物を引っ掛けられたくないのなら、好きこのんで路地裏や便所の周りに近づかず、ましてわざわざスナックのドアや便所の扉を蹴破って押し入った挙げ句に文句を言うような間抜けな時間の無駄遣いは止めるべきなのだ。

とは言え、やはり、弱音や泣き言を一切言わず、つねに前向きに考えそれらへの対策や回答をひねり続け、四六時中ひたすら前進だけして闘い続けなければならない生活というのもつらい。別に現世の人間全てがユニ●ロの社員ややワタ●の店員のように生きて過ごさねばならない義務はないのだ。別に解決や慰めを望んでいるわけではない、でも、ただ不満や苦痛を溜め込んでいるのは苦しい。どこかで吐き出したい。それで、もしそれを誰かと一瞬でも分かち合えればさらに嬉しい……くらいの欲望は誰にでもあるだろう。まして、それが親しい知人や家族ならばなおのこと、だ。

そういう、病院の待合室レベルの緩い繋がりや共感程度のものを期待していただけなのに、ましてその人に面と向かって「私を助けて!慰めて!」と大声で取り縋って泣き喚いたというわけではないのに、いきなり大上段に分け入ってきて上から目線で真顔で大真面目に説教される、というのは確かにうっとうしく不愉快以外のなにものでもない。思い返せば、まさにそういう行為をやらかされたことも、逆にやらかしてしまったことも何度となく身に覚えが有り、しかし、それはやはり愚痴を吐かずにいられない、あるいは愚痴を吐かずにいられないような他人の辛さを斟酌できない自分の駄目さが主因なので、結局、誰を責めるわけにもいかずに自己嫌悪に陥り、しかし絶えきれずにまた愚痴を言いたくなってくる……とかね。

山田花子『さわやかアキラクン』(『嘆きの天使』収録)
山田花子『さわやかアキラくん』より(『嘆きの天使』収録)

しかし、時には愚痴ですらない、「いやあ、こういうことってあるもんだよねー(苦笑)」というような、ちょっとした一般論やありふれた諺じみたような言い回し、それこそ何の屈託も無く共感すら全く求めていない、文字通りの「つぶやき」をほんの軽い気持ちで発しただけだというのに、突然血相を変えて食って掛かって、まるでこちらが大それた呪詛でもしでかしたかのように憤り、こちらには罵詈雑言としか受け取りようのない「説教」や「忠告」を矢継ぎ早に叩きつけられて、こちらがしでかした「愚行」や「とんでもない心得違い」に対して「謝罪」と「反省」を迫られる……という体験も何度かあった。ただし、そういう人たちはおそらく普段からコンプレックスや屈託を無意識のうちに抱え、しかしそれをどう形容して良いか分からずにそれこそ愚痴もこぼせずにいたところへ、たまたまこちらから発した(何気ない)言葉のうちに、その屈託の有りどころを抉り出すものがあったのか、若しくは単にこちらに対して思い切りマウンティングしてみせて優越感を味わう絶好の機会を逃したくなかった、というところだったのだろう(後者の方が断然多かったような気がするな……)。

山田花子『修羅の図鑑』(『嘆きの天使』収録)
山田花子『修羅の図鑑』より(『嘆きの天使』収録)

結局、場所や状況関係なく、愚痴を吐くのも忠告するのも決してノーリスクではいられない、吐瀉物を吐き出すにも始末するにも口元や手を汚さないわけには行かないように、どちらをするにも何かしら傷つく可能性を心得ておいて、そして傷ついてもその結果は己の責任として受け入れなければならない……ということを肝に銘じておく、ということか。とりあえず私は、せっかくこうして自前のブログをこしらえたことでもあり、当分はこの場所を「王様のロバの耳」を見てしまった床屋が掘った穴か井戸のごときものにしていきたい、従って、そこに放出された言説のようなものに対する感想は甘んじて受け入れる代わりに、それを吐き出す行為自体はどうか容認して頂きたい、とか……以上、長々とまとまらない愚痴でした。

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蛇のごとく粘着だが、羊のごとく惰弱。

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