7月 102015
 
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岩手・中2自殺:校長「いじめ知らなかった」 – 毎日新聞 岩手・中2自殺:校長「いじめ知らなかった」 - 毎日新聞 このエントリーをはてなブックマークに追加

校長は7日夜に開いた緊急の保護者会の後、取材に応じ、ノートのやり取りについて「担任から聞いていない。いじめは否定できないが、あれば私に報告があるはずだ」と話した。担任は生徒の自殺後、病欠しているという。

生徒の父親も生徒が自殺するまでノートの内容は知らされておらず、「ここまで書いていたのなら、なぜ連絡してくれなかったのか」と学校側の対応への不満を述べた。

毎度毎度、「いじめによる自殺」が起こる度に性懲りもなく繰り返されるテンプレ対応で、もういい加減うんざりなのだが、そもそも責任者や担当者がみずから直ちに真摯に事実を認め潔く責任を負うことができる集団ならば、そもそもいじめ自体がまず起こらないだろうし、少なくとも深刻化することはないはずなのだ。被害者が自殺まで追い詰められるまで事態を放置する、またはそもそもそのような事態すら認識できないような輩が管理側だったからこその最悪の結果なのである。

現状として学校教員がその地位や給与以上の過重な勤務や雑務を負わされている問題はあるとしても、それでも「いじめ」とか(矮小化して)呼ばれているものの、ひとりの人間、それもまだ未熟で弱い、そして未来あるひとりの子供が、目下その場で集団の悪意でもって心身を傷つけられ尊厳を奪われているというような事態は、教員として以上にひとりの心ある大人として、たとえ目の前のあらゆる業務やいかなる任務を犠牲にしてでも、何よりも優先して発見し、緊急で全教員全職員が一致協力して全精力を上げて解決し、そして徹底して全力を賭けて阻止しなければならないほどのものであるはずだ。誰だって、目の前で寄って集って暴力を受け、自分の側で連日のように心身の虐待を受けている人間がいれば止めに入るか、警察を呼んだり110番の一つもするだろうに、それがなぜ「学校」という場所ではこれほどまでに軽く扱われ放置されてしまうのか?

たとえば、いくら多忙だからといって警察が所轄内の犯罪を放置するどころか再三に渡っての被害届を無視したあげく被害者が殺された、なんて事態があからさまになったら担当者を筆頭に大々的な非難にさらされるのはまず当然のことであり、まして本部長あたりの幹部が「知らなかった。報告を受けてなかった」なんて弁解をしようものなら、その警察組織そのものが全国を上げての糾弾の対象になるのもまた当然のことだ。警察に限らず組織のトップが手前の組織内で起こった不祥事、それも自殺者が出るレベルの事態を「知ることができない」そもそも「知らずに過ごせてしまう」ような状況やシステムを放置し安住していたことに対しての責任を負わなければならない。そのために普段、数段高い報酬と厚遇、尊敬を受けているのではないか。

今回の事件での場合、被害に遭っていた生徒は自殺に臨んで定番の首吊りや飛び降りではなく、電車への飛び込みという手段を選んでいる。公共交通機関である列車への轢死というのは、自殺方法の中でも社会に対する抗議の意図や復讐の意味合いがかなり強いものだろう。それだけの強烈な死への意志と覚悟があったということだ。よくいじめ自殺に対しては「死ぬ前に誰かに相談するか、死ぬくらいなら逃げればよかった」とか世間ではよく言うが、彼の生前には、彼の周りの世界には彼の精一杯の助けを求める言葉も、存在すらも顧みる人間は現れなかったのだ。彼はその命、本来の人生もその将来の可能性もすべてなげうって犠牲にして、それだけの代償と引き替えにしなければ、その苦しみも訴えも、その存在も周囲にも世界にも「知って」もらえることはなかったのだ。たとえ逃げると言っても、若干13、4才の地方の少年にとっての居場所、世界というのは家庭と学校がすべてだろうし、その双方の世界の「大人」がまったくなんの助けにも役にも立たず、かといってそれ以外の「逃げる」場所も見つからず身を守る余地も与えてくれる人間もいないとなったら、残りは「あの世」という名の逃げ場所しか有り得ないわけだ。

もちろん、「いじめ」において唯一最大の問題は加害者たち(とその親)なわけだが、ならば当然、学校側にはその加害生徒たちを放置してその更生を怠った、という責任が生じてくるわけで、この事件においては学校側はなまじ大ごとにしなくない、何に対しても誰に対しても無難に収めてやりすごそうとしていたばかりに、結果として彼らに間接的な殺人者という取り返しの付かない汚名と、償いようのない重大な罪障を背負わせてしまったのだ。ほんらい学校という場所には将来の社会を担う健全な精神と技術を持った人材を育成する、という役割、使命がある。それを、とある片方は心身ともに腐り果てるにまかせ、片や自殺という形で失わせてしまった。今や当の学校側や周囲の大人たちができることは、残った加害生徒はもちろんのこと全生徒たちに、自分たちはひとりの人間を間違いなく死に追いやる片棒を担いだのだ、という一生涯の自責の念を持たせ、かつ自分たちも生涯の烙印を背負いつつ、社会に出る前に徹底して真人間に戻れるように全力をかけて矯正することのみ、それだけが唯一、かの被害少年の命と引き替えに遺した叫びに応えて報いる手段なのだ。

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