7月 192015
 
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以下の記事は、ネット上でのあるブログライター同士の個人的なやり取りと、それに関する反応や影響についての個人的な感想、感情をまとめ、私自身の反省と総括を試みたものです。

 

私はあなたの母親じゃない – 斗比主閲子の姑日記 私はあなたの母親じゃない - 斗比主閲子の姑日記 このエントリーをはてなブックマークに追加 現在は本文を全削除

はてなブログ』の人気女性ブロガー・「トピシュ(topisyu)」さんの記事に対して、ある男性ブロガーが自分のブログで揶揄めいた記事をいくつか書いていたところ、当の女性ブロガーのかたが自分から検索をしてその記事を発見、ただちに自分のブログに載せて紹介した上で、その男性ブロガーの人格や生育歴まで推測し逐一例示しながら徹底分析して詳細に解説、論評して見せた、というものだ。

確かに、いい歳の人間が影で他人へのネガティヴな物言いをふざけた口調でぼそぼそ呟いたり幼稚な文体で垂れ流すのは見苦しい。抑えがたい不満や批判があるなら当の本人に礼を保ったうえで、きちんと面と向かって伝えるのが常識ある成人のあるべき態度ではある。そして、個人ブログとはいえネットという公の目に触れる場で上げたものに対し、それに対する反応を起こしたり感想や批判を述べる権利を妨げることはできないし、それがたとえ自分にとって厳しいものでも甘んじて受け入れなければならない。彼女も仰っているとおり、そのための開かれたインターネットでありブログという媒体なのだから。そして、それに対しての筋道だった態度、対応というものに対して、これまたこそこそと文句や揶揄をぶつけたりそれに対して安易に同調して焚きつけるというのはさらに軽率な、確かにいじめの傍観者なみの卑怯な行為だ。まったくもって非は「こちら側」にあり、いくらあれこれと考えてみたところで擁護も弁解の余地もないのは「私(たち)」のほうで、これまたその己の所業でどれだけ批判されてもやむを得ないわけで、逆切れや逆恨みなどはもってのほかだ。

しかし、本来は常識を弁えたひとりの大人として、きちんと己の心中のみで消化して飲み込んで終わらなければならないことに対して、どうしても拭いきれないもやもやが未だにあるのも事実だ。そのように感じてしまうこと自体がこれまた盗っ人猛々しくみっともないことではあるのだが。正直な感情として、私の側から例えてみたら、今回の事例というのは『田舎町の自分の家の庭先で少しばかり聞こえよがしに呟いていて、もちろんそういう行為は下品だし決して褒められたことではないのだが、それが当人の常時飛ばしていた監視カメラに引っかかり、そして当の本人に乗り込まれて面と向かって苦情を言われるだけならまだしも、謝り方がが気にくわないと言って、知らないうちに我が家に乗り込まれ隅から隅まで、ゴミ箱の中までひっくり返して洗いざらい調べ尽くされ、挙げ句に無断でその情報を己の「悪事」とともに大通りの掲示板に大々的に張り出されて町中の住人に広められてしまった』というものだ。

(※画像は削除しました。2015/07/21)

無論、彼女にとっては正義や正論を振りかざすつもりはさらさらなく、まして悪意ですらなく、ごく純粋な関心、探究心からのものであろうし、なにより、本人が今回の件に限らずブログ開設当初から今まであくまでそういう「芸風」、スタンスであることを自ら繰り返し公言したうえで、これまで様々な事例や人物を同様の手段で俎上に上げてきて、周囲の読者もそれを承知の上で持て囃し支持しているのだし、現にこの私からしてその一人だったのだから、それを今さら反発して非難がましい態度を投げつけることじたいがおこがましいのだ。

野次や文句を読むために文章を書いています – 斗比主閲子の姑日記 野次や文句を読むために文章を書いています - 斗比主閲子の姑日記 このエントリーをはてなブックマークに追加

彼女・トピシュさんはおそらく他者の心理のうちでも、とりわけ自己欺瞞や逃避、甘えなどから(無自覚、無意識にでも)生じる対応や態度というものに常人の想像を絶するまでに敏感で、それがどれだけ小さく僅かなものであっても目に入ってしまうし、目についてしまった以上は一度は手に取って確認したうえで片っ端から片付けておきたい、しかしそれが苦痛なのではなくごく自然に心身ともに積極的に行えてしまう、という人だ。こういう資質はほんらい表現者、創作者にもっとも向いているはずなのだが(漫画家・山田花子とか)。そして、総じて自己欺瞞や逃避、甘えに囚われる人間というのは多かれ少なかれ「自分に対して正直で全力に対峙し、そして周囲に思い切り甘えることが許される」唯一の時期を奪われてしまった、つまりアダルトチルドレンである。彼らはその過程で生じた欠落を(かつての親の代わりに)理解して埋めてくれる相手を(無意識に)求めている。ゆえに、その欠落の根源を巧く突き止めて言語化、顕在化する能力に長けた彼女に対して、畏れ以上の期待を抱いて引き寄せられてしまうのだ。

家庭内トラブルは人を知る手段 – 斗比主閲子の姑日記 家庭内トラブルは人を知る手段 - 斗比主閲子の姑日記 このエントリーをはてなブックマークに追加

しかし、問題なのは、彼女はそうした心の隙間を埋めて癒してくれる医者でも、救ってくれる教祖でもなく、まして実の母親ではない、ということである。彼女のスタンスはあくまで冷徹極まりない科学者、研究者のそれである。その対象は彼女にとっては導くべき迷える子羊ではなく、もっぱら研究資料のマウスであり、わざわざ時間を割いてとっ捕まえられて臓腑を切り裂かれて放っておかれたところで、そのことで彼女の方が責められる謂われはない。その事をわきまえずうかうか紛れ込む方が悪いのである。そして、実生活では強大な権力や特別な権威を持っているわけではない、姑とのコミュニケーションに頭を悩ませ、我が子への接し方について葛藤する一人の妻であり母であり、生身のひとりの女性であり、現実を生きている人間である。たとえ望んで研究している対象であっても、あくまで実世間と同様の礼儀、気遣いは求めたいし、目に付くところで粗相をされたり聞こえよがしに吠え掛かられでもしたら、苛立って「悪意」の倍返しをしてやりたくなるくらいの感情と権利は当然持ち合わせているわけだ。

だが一方では、実際として彼女はネット上では歴とした大手ブロガーの一人であり、固定の読者もファンも大勢抱えている。加えて以上に述べたように、とりわけ洞察力、分析力において広く周知され、絶大な信用とステータスを認められている。もっとも、おそらく彼女の望んでいないところでそういう権威なり影響力なりを付与してしまったのは読者の側で、確実に私もその中の一人に入っているのだが。それでも、そういう相手から己のパーソナリティーを、たとえ自業自得とはいえ、公的な表示では千人を超える読者、そして理論上は全世界のネットワークに対して「いい歳こいて赤の他人に母親を投影してすり寄ってくるマザコン中年男」というレッテル、それも詳細な説得力のありすぎる解説付きで貼りつけられて広められてしまった件の男性ブロガーの立場(たとえそれがまったくの事実であったとしても)をおのれに置き換えてみると、それだけで背筋が寒くなる。やはりどうしても、「悪意」とはいえ当人の自覚できない部分からの弱さ未熟さからくるそれへの報い、としてはあまりに過激すぎるように思う。彼女としてはただひとつの研究成果を掲載報告したに過ぎないのだろうが、あたかも隣の房の囚人を会話だけで自殺に追い込んだレクター博士の所業すら彷彿とさせてしまうのだ。

(あと、こちらもちょっと思い出した。)
【感想・批評】「正義エイリアン」への恐怖 —吉田秋生『海街diary』への違和感—

 

……というようなことを書こうとしていたら、まったく、この見事なまでの迅速な対応と完璧なフォロー、ただし(読者に対して)きっちり釘を刺しておくことも忘れない。やはりこの一毫の隙の無さにはやはり恐怖すら感じてしまう。

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(※画像は削除しました。2015/07/21)

私などから言わせてもらえば、弱者は己の甘えに無自覚かもしれないが、強者はまさに己の強さに無頓着になりがちだと思う。完全(理論)武装した歴戦の格闘家から仁王立ちして両腕を広げながら「文句あるなら正面から正々堂々とかかってきなさい! 遠慮は要らないし、手心は加えているし、もし怪我させちゃってもフォローはきちんとするよ!」と朗らかに言われてしまっても、かえって萎縮してしまうのが一般の正直な心情だ。もちろん、だからといって陰口が良いわけではないし、なにより「弱いから」といって姑息な態度を見せたり半端に逃げ隠れするというのが彼女の最も嫌うところではあるのだろう。ましてふらふら半端に紛れ込んでちょっかいをかける方がいちばん悪い、で何もかも済んでしまう話である。しかし、そういうことを元からきちんと判断して避けられる人というのは、彼女のブログを元から「楽しめる」ことのない一般の健全な人たちだろうし、性懲りもなくまた好奇心や野次馬根性に勝てず、すり寄って首や口を突っ込んでは「手入れ」をされてしまうのは、やはり何時まで経っても隙だらけの弱さを引きずっている人間なのだ。

 

ちなみに、この私のブログなどでのスタンスというのは、実情としてネット上の記事、それも個人ブログの記事というのはアクセスしたユーザー皆が熟読してくれる、熟読すべきものとは考えてないし、大半は読み流されて当然ぐらいのものとみなしている。まして過去のそれにおいておやである。自分の記事やコメントを熟読してもらえず誤解を受けたとしてもそれは自分の表現力や構成力、魅力の乏しさによるものであると考え、そして何より私の方からも今までもずいぶんと(たとえ無自覚にでも)当の相手や他の誰かに対して無礼や大概な物言いを投げつけ、傷つけてきたとは思うし、したがって、多少はこちらから見てぞんざいだったり辛辣だったりする反応を取られてもその報いだと思って受ける義務があると考えている(反論はするかもしれないが)。とくに『はてなブックマーク』というのは「公表されてる陰口」といったスタンスこそが特性だと思っているので、それを否定するつもりはない。まして、自分の目に付かないところでネガティヴな事を言われていたところでわざわざ自分から出向いて文句を付けにいこうとは考えもしないし、元から探しだそうとも思わない。もちろん自分の精神衛生を守るためにもだ。とりわけこのブログではあくまで自前の庭として一段いろんな意味合いで立ち入った事を書いていくつもりなので、それについて立ち入った批判や非難をされても、そのことは覚悟しておかなければと肝に銘じている。

(※画像は削除しました。2015/07/21)

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