11月 072015
 
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返答に困る言葉 – 仕事は母ちゃん 返答に困る言葉 - 仕事は母ちゃん このエントリーをはてなブックマークに追加

こちらの記事にて、4人のお子さん(社会人〜小学生、全員男子)を持つ専業主婦の方からの「返答に困ってしまう言葉」として「なんで働かないの?」「女の子欲しくない?」「子供好きなんだね」「ご飯をどのくらい炊きますか?」などが挙げられていた。それぞれに当事者としての実に端的に説得力のある理由が述べられていて、いずれもたとえば私のような粗忽な人間が、もし同様の立場の知人友人とでも話す機会が有ったらうっかり悪気なく投げかけてしまいそうなところを、こうしてまさにその現場にいる方から、きちんと率直にその場合の気持ちを公に説明していただけるというのは大変ありがたいことだ。

確かに、「専業主婦」や「母親」そして「女性」などという単一の人種、生物があるわけでもなく、その立場に至るまでの過程や状況、それぞれが築いている家庭も生活もその中での価値観も目標も、その人の個性や属性によって異なってくるのが当然なわけで、それを相手側がいつでも都合よく決まったマニュアルや判例を用意しているかのように思い込んで掛かって、さらに自分の中の基準に一方的に填め込んで納得して安心した気になって済ませるというのは、もちろん相手にとって失礼であるばかりでなく自分のためにもならないのだから、あらためて強く自戒したいところだ。

しかし、「家庭」というものはほとんどの人間がそこで生まれ育ち、そして大方の人間が持つものでありながら、これほどそれぞれによって様相が認識が著しく隔たっていて、にもかかわらず皆が自分が生まれ育ったそれと他のそれとをどうしても同様だと思いたがり、そして万一違うとなれば何故か自分の方が不安になってそれを同じようにさせたがる、むしろ同じようにしなければならない、と思いこんでしまっているものはないだろう。何より、この私自身からしてそうなのだ。

実を言うと、私が以上の記事に挙げられていた言葉のうち、確かにこれは良くないと頭では理解しながら、しかし心情ではその気持ちの存在じたいを如何とも否定しがたいものが一つあって、それは……「無理」だ。

これには色々バリエーションがありまして、「私には4人男の子を育てるなんて無理」「(産後退院してすぐ幼稚園の送迎を開始した私に)そんなにすぐ動くなんて無理」「(大阪から田舎に引っ越してきて祖母と同居しはじめた頃)私が都会で暮らしてたらこんな田舎に引っ越すなんて無理」等々。心の中で思うぶんには特に問題ないですが、何故直接それを言うのか。言われても「はあそうですか」ぐらいしか反応できないじゃないですか。わざわざ本人に言う意図がわからない。もしかして褒め言葉のつもり…?

もちろん、まったくもってその通り、わざわざ面と向かって当人に言うなどはぶしつけな話なのだが、しかし、それでも、この私などからみれば、この現代の日本の現在の社会経済状況下において、安定かつ良好な経済そして家庭環境を維持しつつ2人以上の子供を心身ともに健全に生み育てている、という時点で夫婦ともに相当に卓越した社会的、人間的力量に恵まれた人たちではないか、と思えるのだ。まして、たとえば、4人もの男子の世話と教育に専念できる環境を提供、そして協力して維持できるパートナーと出会い選択できる見識、そして現にそのパートナーや子供たち皆と健全かつ良好な信頼関係を築きながら、その世話や助力、協働、そして家事一般をこなしつつ、加えてその合間にブログを運営し質量ともに高水準の記事をほぼ連日更新し続ける、という体力精神力能力の持ち主というのは、たとえば私のようにいい歳しておのれの面倒もろくに見られないどころか飼い猫たちにも鬱陶しがられ避けられる、ブログでもろくな記事が書けずろくろく更新もままならない、というような人間からみれば、それこそもし当のご本人を前にして気を抜いたら、100回生まれ変わってもやはり「(私には)無理」とでもいうような、まさに9割の称揚と1割の畏怖が入り交じった言葉がうっかり漏れてしまう、その懸念はやはり抑えきれないのだ。

もしも、たとえばその辺のいわゆる「山ガール」(最近は流行ってないか……)などが小松由佳という人の存在や業績を知ったら、あるいは、そこら辺のスケート教室の万年初心者が エフゲニー・プルシェンコの演技を目の当たりにしたら、やはり真っ先に思い浮かぶ、そして思わず嘆息して呟いて出てしまう言葉はやはり「(自分には)無理!!」なのではないだろうか。もちろん、その彼ら彼女らの業績の影にはわざわざ他人には話さずとも、幾多もの葛藤や挫折、犠牲や苦悩が存在しているのは当然であるし、たとえ、K2を制覇した登山家であろうと氷上の皇帝であろうと、その舞台を降りればそれなりに弱さも脆さも隠し持つひとりの生身の人間であることには変わりがない……はずだ。しかし、それでも、世代や性別を問わず、将来の社会を、人類を担う種である子供を、それも1人ではない数を皆きちんと「育てている」もしくは「育ててきた」人間と、そうでない人間、それができない人間、そうする気力体力すら持ち得ない人間とは、それほど世界の隔たった異人種なのだ、と思う。およそ他人とは、たとえ一つ二つ属性もしくは嗜好が似通っているからといって故に分かり合えるつもりでいても、どうしてもそれぞれに対して理解し得ない領域というのは当然として存在するもので、それを常に意識努力して互いに対して想像力を働かせていないと容易く断絶してしまうのだ。まして、それが明らかに異なる世界に棲む同士ならばなおのことだ。

とにかく、こちら側にとってはたとえ純粋な好意やちょっとした感嘆のつもりであっても、相手にとっては無遠慮で無礼な言動になってしまうことは、対既婚者もしくは対(高齢)独身者に限らずいくらでもあり、そして自分でもしばしば無思慮にやらかしてしまいがちで、実際いままでそれで幾度もさまざまな局面でひどい失敗をしてきたのだから、今後はさらに、つねに胆に命じておきたい。

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