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(更新:2023年9月9日)

【エッセイ】「上人の感涙いたづらになりにけり」by徒然草 —「くたばれ評論家」—

佐竹河内守の一連の騒動で、彼(名義)の曲を支持していたリスナーやイベントやテーマソングに採用してしまった自治体等の憤りは察するに余り有る。佐村河内を賞賛していたクラシックファンのブログを見かけたりして、事件発覚(2月5日)以前以後の該当記事を読み比べたりすると、何ともいたたまれず痛ましい気持ちになる……つくづく自分がクラシック門外漢で良かった、と痛感する。もし、私がなまじクラシックに興味が有って、彼に興味を持っていようものなら、間違いなく「ハメられて」しまったうちの一人に違いないからだ。

しかし、たとえいくらチケット代を返金してもらったり、彼への賞や肩書きを取り下げたところで、一度でも彼(名義)の作品に対して感動してしまった、価値を認めてしまった、あまつさせ周囲に向かって賞賛してしまったという過去、事実だけはもう打ち消しようが無いわけで、それこそが、少なからぬ時間や金額や手間を費やしたこと以上に、もっとも口惜しいことだと思う。恋い焦がれていた相手に騙されてさんざん貢いだ挙げ句捨てられたようなものだろう。

(※こちらはいろいろ貰っていた方だが、やはりいちばん肝心な「心」を奪われてしまったわけで……)

正直なところ、大半の人々にとってはクラシックに関しても聴覚障害に関しても、そして「天才」とかいう存在の実態に対しても、殆ど正確な知識や素養を持ち合わせていないことが殆どだろう。元から知識を持ち合わせていないものだから事実との検証のしようが無いわけで、たとえその道の専門家なら見抜くことのできる嘘や間違いでも自信たっぷりに通されてしまえば「そういうものなのかもしれない…」と思い込まされてしまう。そもそも、譜面も読めず鍵盤にも殆ど触ったことがないくせに、他人に作らせた曲を一流のオーケストラに堂々と演奏させ、大観衆やテレビカメラの前で臆面も無く喝采を浴びることができる神経の持ち主など、まともに生きてきて、まっとうな感性と思考を持つ大人ほど想像し難いものだ。この件ではまさにそこを突かれてしまったし、若しくはそこを突いて計画し、事態を進行させた人々が他にも居たのかもしれない。

さすがに終始、当人(とゴーストライター)だけで何もかも計画しやりおおせたとは思えないし、殆どの人がさらなる背景や事情の存在を信じていることだろう。実際、今まで彼と仕事や契約を行った制作会社、出版社、放送局等々の社員やスタッフの全てが実態に気付いていなかった、全てを隠しおおせていたというのはまず有り得ないからだ。関わった人間たちは皆多かれ少なかれ、どれほど意識的であったかに限らず、あえて信じ込もうとしたか、内心で疑いを抑えていたか、気付かないふりをしたか、いっそ共に腹をくくっていたというところだろう。

ゲーム会社関係者「佐村河内守の耳が聞こえる事は暗黙の了解」 | ガールズちゃんねる – Girls Channel –

結局、皆、「王様は裸だ!」とはそうそう簡単には口に出せないのだ。なぜなら皆、大人だから。失うもの、得られなくなるものが多すぎるから。何より、自分の自尊心が傷つくから。……しかし、これは流石にいかがなものかと(ー ー;)。

【ネットの噂】佐村河内守さんの内部情報を流出させたネットの書き込みまとめ ゴーストライター – NAVER まとめ

本来、まさにこういう事態を凡百の大衆に代わって真っ先に見抜き、率先して世間に向かって「王様は裸だ!」と言わなければならないはずの評論家や知識人の方々がこういうことでどうするのだ。現実には確かにそれこそ立場なり大人の事情なりも有ったのだろうし、リップサービスが過ぎたということもあるのだろうが。いや、それでも、とりわけ実技に携わらない評論家においてはその分野の正しい価値や真贋を、素人やアマチュアに代わって見極めることこそが唯一の職分であり存在意義ではないのか。……この辺り、私はかの古典『徒然草』の第236段のエピソードを思いだしたものだ。高校古文のテキストや試験問題にもよく出てくる、『徒然草』の中でもかなり有名な下りだと思う。

『徒然草』の235段~238段の内容

丹波(京都府亀岡市千歳町)に出雲という場所がある。島根県の出雲大社が神霊を勧請して、新たな社殿を築いた。丹波の領主・志田の何とかいう男が、秋の頃に、都の聖海上人やその他大勢の人達を出雲に誘い、『どうぞいらっしゃって下さい、出雲を拝みに。かいもちをご馳走しましょう』と言った。聖海上人やその他の人たちは、丹波の領主に付いていって出雲まで行き、それぞれ礼拝して、強い信仰心を起こす事になった。

社殿の前にある獅子や狛犬は普通は向き合って置かれているものだが、出雲大社の狛犬は互いに後ろ向きで置いてあった。これを見た聖海上人は酷く感動して、『あぁ、珍しい。この獅子の立ち方はとても珍しいものだ。何か深い由縁があるのだろう』と涙ぐんだ。『皆さん、こんな珍しいものに気づかないんですか。これを見て何も思わないのであれば残念なことです』と言った。それを聞いたみんなは確かに不思議な獅子の置き方だと思い、『本当に他とは違う置き方ですね』、『都への土産話として語りましょう』などと言う。

聖海上人はその由縁を知りたいと思い、年寄りの物知りそうな神官を呼んで、『御社の獅子の立て方は、慣例の定めに従ってないですよね。ちょっとその由縁を聞かせて頂きたい』と質問したが、『その事でございますか。どうしようもない子ども達の悪戯ですよ、怪しからんことです』と答えた。そう言って、獅子の近くに寄って、正しい向き方に置き直して、立ち去ってしまったので、聖海上人の感涙は無駄になってしまった。

要は、神社の中でも最高級の由緒由来を持つ出雲大社の分社を、京都郊外に造るなり寄進するなりした地元の有力者がコネの有る中央の宗教界のお偉いさんとその取り巻きを読んで接待したというわけだろう。で、すっかりその霊験あらたかな空気に染まったリーダーの上人が、他とは一見、趣向の変わったアイテムの配置を目にして勝手に深読みして感激し、周囲もみな同調するが、真相は……

周到に創り上げられた雰囲気、それに何らかの権威や物語が加われば、それなりに修養を積んだインテリでもあっさりその判断力を失い、そしてそれを目の当たりにした有象無象はさらに舞い上がって、あるいは保身や追従や自尊心からか、自らその空気を増幅させ呑まれてしまうで、まさにそういう状況設定、空気を作り出すのに長けているのがプロの詐欺師なのだ。彼等はまさにターゲットの知識ではなく精神の隙を見つけ出し、あるいは意図的に作り出し、突いてくるわけだ。

そして、そもそも世の中のありとある評論家とか批評家とか有識者とかいう面々がしていることというのは、このエピソードの上人がしでかしたことと大して変わらないのではないかと思えてくる。本来大して意味や意図の無いディティールに背景やら思想やらをでっち上げ、己が納得し周囲を説得するために手前勝手にこねくり回した理屈を付けているに過ぎないのかもしれない。——しかし、そのことで流れた涙の責任を、彼等が取ってくれるわけではない。

そういうわけで、私的にこの件から得られたものと言えば、あらためて、権威の有る(とされている)メディアや評論家や知識人の見解や情報を決して鵜呑みにしてはならない、ということを思い知ったことだ。結果としてその身でもってNHKを筆頭とするメディアや音楽界を中心とする大物業界人たちの欺瞞を完膚なきまでに暴いたことが、佐村河内守の成した唯一の善行かもしれない。

たとえ赤恥をかくことになっても、自分の感覚と頭で判断しようと思う。たとえ同じ恥をかくなら、せめて自分の責任でやるべきだ。「大人」になってしまった人間には、それしか出来る術がないのだから。

蛇のごとく粘着だが、羊のごとく惰弱。

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