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(更新:2023年9月30日)

【エッセイ】真の芸術家の生、そして死 —漫画家・山田花子を偲ぶ—

先日、当サイトにアクセス制限を掛けているというレンタルサーバーからの連絡があり、焦ってチェックしたら確かにエラー画面しか出てこない。よりによってこんな泡沫ブログにいったい何が!? と心当たりの無いままあちこち調べた結果、以下の過去記事にへの多数のアクセスが集中していたことが分かった(ご迷惑お掛けしましたm(__)m)。

【エッセイ】未知との遭遇、そして悲劇 —漫画家・山田花子×弘兼憲史—

振り返って見れば、5月24日は漫画家・山田花子の命日であり、それを切っ掛けに彼女の偉業を思い出したり新たに興味を持ったりして検索した人が、たまたまこちらの記事に目を留めてくれたのだろう。没後23年を経てもなお、遺した作品が何度も版を重ね新しい読者を獲得し続け、未だ根強い人気と注目を保ち続けているどころかさらに拡がりを見せているという、彼女という作家の偉大さをあらためて認識した次第である。

思い起こせば、山田花子という作家が世間的にここまで広く知られるようになった切っ掛けというのは、90年代半ばに話題になった『完全自殺マニュアル』や『消えたマンガ家 』などでの紹介で、私などもそれで彼女を知った一人である。それらに相続いて再版された作品集をはじめ、生前の日記や回想、メモなどをまとめた『自殺直前日記』も一通り読んで、その狂気的なまでの観察力と精緻な表現力、そしてそれらの根底にある業の深さ、そしてある意味凄まじい精神の強靱さに、表現者としても一人の人間としてもあまりの圧倒的な格の違いを思い知らされて打ちのめされたものだ。

(※広告削除しました。2015/06/11)

この『自殺直前日記』の方も2度も改訂版が出るなど、彼女の創作品と同じく、あるいはそれ以上に広く読まれ高く評価されている。しかし、私としては、やはりこの『日記』はあくまで彼女の「作品」あってはじめてその存在意義を持つものであり、その創作にいたる彼女の背景、思考の過程などを知る資料としては極めて興味深く共感も大いにできるものの、やはり山田花子という一人の表現者、そして一人の人間を最も雄弁に物語るものは、彼女自身が生み出したその作品をおいて他には無いと思うのである。

(こちらに収録の作品はとくに完成度が高いものが多い。根本敬の解説も素晴らしい)

正直なところ、この『日記』に書いてある程度のトラウマの回想やら世の中に対する達観めいた鬱屈の羅列というのは、現在ではメンタル系のブログや掲示板などをいくつか漁ってみればわりと簡単に読めると思うのだ。実際、彼女の生きた当時にも今も、彼女の作品の主人公たちや彼女自身のような、生来ナイーヴ過ぎて人間関係を筆頭にあらゆる物事に対して不器用で要領悪く、ゆえに自信が持てずアイデンティティを確立できない状態で常に心身に余裕が無く、そのため視野狭窄に陥り空気が読めず、機転が利かずにさらに失敗を繰り返して自己嫌悪に陥り、そのようにして肥大化したコンプレックスと自虐とは裏腹に、むしろそれだからこそ、やたら自意識過剰でプライドだけは無駄に高い……という社会不適応人間は自分も含めてそこら中にいくらでも存在するし、そのあげく精神を病んでしまう人間もありふれているし、そしてあまつさえ自殺してしまう人間というのも大して珍しくはないのだ。

しかし、他ならぬ山田花子がこうした凡百のメンヘラーや社会不適合者と決定的に違うところは、彼女がこうした己の不幸や苦悩に安住することを断じて良しとせず、終生絶えず倦むことなくそういう自分の弱さや駄目さ、卑屈さ、意気地無さ等々を断固として直視し続け、かつそれらを徹底的に冷徹かつ精緻に、全身全霊を賭けて表現し昇華し続けたところにある。それも曲がりなりにも商業ベースで、しかも、おそらくそれ以前には殆どなかったであろう「日常ギャグ漫画」という形においてである。

どんなに自分を捨てて描いても、どっかで無意識に自己正当化してしまう。作者の主人公に対する思い入れ、感情移入(主人公=可哀想な人=作者)になってしまう。
しかし、自己主張の全くない漫画を描くことは不可能だ。(漫画を描くことは自己主張だから)自分自身を、自分で(人間の視点で)観察して描く限りどーしても自分を正当化してしまう。人間の視点で描くとどーしても感情移入してしまうので、いっそのこと機械や他の生物の視点で描くことにする。感情を一切入れないで、唯”状況”だけを描写する。
商業路線とは全く無縁のところで、本当に自分に見えている、感じている「本物の世界」を描きたい。(91年7月)

山田花子『自殺直前日記』より ※太字筆者

まさに彼女がこの言葉通りの姿勢に徹して最期まで創作に臨んでいたことは、他ならぬ彼女の遺した作品そのものが最も雄弁に証明してくれている。彼女は本来、少女時代に親しんだ童謡や絵本に描かれているような完璧に純粋な優しく美しい世界を渇望し、そして何より自分自身もいつまでも完全に純粋なまま、穢れなく美しく生きていくことを心底願っていた。しかし、以上のように真摯に世界にも己にも対峙しようとするほど、現世が己の望む理想とあまりにかけ離れているどころか、己のもっとも忌むべきものばかりで支配されていることを思い知らされて絶望し、そしてそれ以上に、どんなに己を律しようとしても己のエゴイズムやナルシシズムを断ち切れないことに苦しみ、そのことで更に自己嫌悪に陥ってしまう。

しかし、彼女自身が述べているとおり、およそナルシシズムや自己顕示欲、自己正当化が皆無な創作や表現など有り得ず、さらに言えば、そもそもナルシシズムやエゴというのはもともと人類が種と個を保存、維持していく上で遺伝子レベルで備わっている本能だ。しかし、その一生物としての生存に最低限不可欠なレベルのナルシシズムさえも、おそらく彼女には耐えられなかったのだ。生存活動を行っている以上、どれだけ汚れを避けようとし欠かさず身を清めていても、糞尿は自ずと製造されるし汗や垢は湧いてくるわけだから。その生理にすら我慢できないというなら、もう生命活動そのものを止めてしまう以外に術は無いのである。したがって、この現世の全人類のうちの誰一人として、そしてどんな神仏ですらも彼女を救うことは不可能だったのだろう。

このように彼女はまさに文字通り己の命、全存在を賭して作品を創り上げていたのだ。この現代、とりわけ日本において、これほどまで凄まじくストイックに己の表現に、そして生に臨んでいる作家、創作家は果たして存在するのだろうか? しかし、この山田花子という人はわずか24年の生涯において、一介のか弱い婦女子の身でありながらそれを果たしおおせたのである。まさに彼女こそは真の意味でアーティストと呼ばれるに相応しい存在であり、最も純粋な、完全なる芸術家と言って差し支えない。決して、「いじめられ続けて精神を病んだあげく自殺に追い込まれたサブカル系マイナー漫画家」という陳腐なレッテルやバイアスを掛けて済ませていいような人物ではないのである。この漫画家・山田花子こそ、この現代日本においては稀有なトップクラスの表現者であり創造者であり、まさしく日本のサブカルチャーどころか人類の文化史において永劫の足跡と凜然と輝く業績を残した偉大な芸術家の一人なのである。

蛇のごとく粘着だが、羊のごとく惰弱。

5件のコメント

  1. 僕は…1967/06/10生まれの佐賀県の男性です。身長も162cmでとても他人事のような気もしません。当時の事は自分を振り返ると弱肉強食の世界で生存競争の真っ只中で…今でもですが…やはり、楽しい時も有り自殺を繰り返しての果てに、こう言う結果にいたったことは僕にとって、その10日前後に亡くなった母(三千子)と重なって、失意の内に支えを無くし、母の命日、山田花子(高市由美)さんの命日…つくづく自分の浅はかさに生きる気力がない。漫画家 長谷川町子さんもこの頃お亡くなりになられ、尾崎豊の謎の死といろいろあって、非常にあの頃を思い出す日々です。山田花子さんの自殺直前日記 改を読んで花子さん(由美)の父親(俊皓)さんも4,5年前に他界され、花子さんも寂しくないと思うけど…僕は…生きててもらいたかった!母も…でもあの時は地獄でしたね…楽しかった。笑わせてくれた。僕の記憶には良い日の出来事しかありません。

    1. コメントありがとうございます。
      山田花子の生きた時代というのはバブル景気などで華やかな反面、現在以上に社会の価値観や常識からの束縛が根強くて、彼女のようにあまりに繊細で鋭敏すぎる感性の持ち主には大変生きづらいところがあったと思います。今後、社会や時代がどのように変わっても、人間にエゴや欲望が有る限り、彼女が人生を賭けて遺した作品の価値が失われることはないのだと信じています。

  2. 山田花子さんは僕の好きな漫画家のひとりです。彼女がもっと生きていたなら、僕たちが共感できる漫画をもっと描けたのにと残念です。

  3. ホントは違うのに、「こうなんでしょアンタ。ええっ。違うの?。間違ってる?、私の言ってること?」と言われて、それはその時の状況の中では確かにワリとどうでもいいことではあって、相手の言っている肝心な部分こそが確かにより重要なことのように思えて、
    ムキになって「いや、自分の本意は…」とか説明したら”ぽか~ん”という音にならぬ効果音が入りそうで、「なんかわかんない。それ大事なことの?」とか言われそうで、あー自分ズレてんだわーと思い知らされそうで、思い知らされること自体もまた、割と重要じゃないというかどうでもいいことであるわけで…
    ダメよ誰それさんっ、思ったことは何でも言っていいのよ(ソレが民主主義教育ってものよ)という教師に勇気づけられて、それではと「思ったこと」を言ったら、教師含めて”ぽか~ん”で、「それ重要なことなの?」と教師からも言われたりして、でも、もういいですって言うと「困った子」にさせられて…いずれにせよ魂が少し削られる。明日を生きていく場をまた確保するために

    山田さんの漫画にはそういう「ズレへの困惑と諦観」が繰り返し出てきますね。昔立ち読みしただけですが、ある方が書かれた医学的評論で紹介されていた、療養中の山田さんが(たしか最後に)描いた短い話もまさにこういう話だったけど、その評論の著者には「なんのことだか分からない話」と受け取られていた印象がありました。でも、50代後半男性の私でさえ、時にこれで「ずりっ」と魂が削られることあるんだけどな…

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