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(更新:2023年9月9日)

【エッセイ】『死ぬのは奴らだ』 —見せるべきは傷にあらず、嗤うべきも自分ではない—

自殺教唆容疑:交際相手にスマホで「死ねよ」 慶大生逮捕 – 毎日新聞

逮捕容疑は昨年11月8日午後6〜8時ごろ、スマートフォン向けの無料通信アプリ「LINE(ライン)」で、同級生の女子学生(当時21歳)に「お願いだ から死んでくれ」「手首切るより飛び降りれば死ねるじゃん」などと計7回のメッセージを送ったとしている。女性は翌日午前5時ごろ、東京都港区の自宅マンション8階から飛び降り自殺した。

この情報だけを見ると逮捕された男子学生が悪者に見えてしまうし、現にうちの母などは憤慨していた。警察もまずDVやネットいじめなどを疑ったのだろう。仮にこれで立件出来てしまうのなら、私なども昔はよく「死ね」とか「早くくたばれ」とかいう程度の言葉は軽く何万回と言われていたので、もしこの御言葉通りに従っていたら、今が今なら彼等はみな後ろに手が回っていた可能性が無きにしも非ずなわけだ。ある意味ではありがたい時代だね(^^)。

しかし、ネット上で次々に情報が出てくるにつれて、目下圧倒的に逮捕された彼のほうに同情が集まっている。

【衝撃】自殺教唆で逮捕された慶大生・○○○○と自殺した女子大生との関係が綴られたブログが発掘される – NAVER まとめ

(※追記:彼の名前は伏せました)

彼氏はいたって普通の好青年だったそうですが、最初のうちは二人はとても幸せだったらしく、はたから見ればよくある大学生カップルだったそうです。ただそれは上辺だけの話。彼女の複雑な家庭環境、そして薬によって犯された精神状態は、彼との関係では抑圧できなかったらしく、リスカ、オーバードーズがほぼ毎日続く日々でした。

彼は彼女のことを好きだったようですが、放り投げて浮気したいという気持ちもあったそうです。ですが、メンヘラ。「もし自分が捨てたら彼女は自殺するのではないか」、そういう気持ちが彼をつなぎ止めてもいたようです。好きと嫌い、義務感と絶望感、様々な気持ちが交差し、もはや彼氏も彼女の精神安定剤無くしては自制心を保てない状況でした。

つまり、彼女のあまりの精神の病みように彼も一緒に引きずり込まれて、相当に追い込まれた挙げ句の以上の発言だったようだ。生半可な優しさや使命感で病んだ人間や狂人に近づくと碌な結果にならないという話である。かといって、ただ彼等を遠巻きに薄ら笑いで眺めているような手合いは私はそれこそ心底嫌いだし、まして自分がなりたくないので、だからこうしてわざわざ苦労して手間を掛けて思案して、この記事を書こうとしているのだ。

『メンヘラ』という言葉が造られ、それこそ『オタク』『腐女子』等の一種の属性を表すものとして定着して随分経つ。お陰で精神疾患に対する存在や知識が身近になり、それなりに排除も少なくなっているのかもしれないが、同時に面白半分、興味本位で消費されて終わってしまうように感じられる。たとえば、現実に熱湯を掛けられたり高台から突き飛ばされた痛みが、スタジオやカメラ前のリアクション芸と同様の扱いで、一時だけ楽しまれて流されて終わってしまうのだ(あからさまな暴力や明らかな犯罪行為が『いじめ』という言葉によって、あたかもありふれた集団生活内での日常風景の一コマとして処理されてしまうように)。

自殺した彼女をはじめ自傷癖の有る人がネット上でやたら実際の傷口の画像を見せたがるのは、同情を買うとか承認欲求とかいう以上に外界に対する復讐の一種のように思える。彼等は自分の身以上に、平穏に暮らしている世間の凡百の人間たちのほうを切り刻んでやりたくて仕方がないのだ。しかし、残念ながら、彼等の意図が世間に対して遂げられることは殆ど無い。B級のホラー映画の一場面程度の需要もしくは受容でしか有り得ないのだ。

タイガーリリィ そんなことをしても何にもならないよ
そんなサービスをしても皆さんにはむだだ 15分もたてば忘れられてしまう

『ヘルタースケルター』岡崎京子

世間には、彼等を笑いものにしたり見世物に仕立てたり売り物にしたがる人間はごまんといるが、理解したり癒したり、まして救い出せる人間は殆ど居ない。例の事件を見ても分かるとおり、彼等は存在自体が対象の愛情も正気も吸い尽くすブラックホールのようなものだ。じゃあ神仏なら、宗教なら救えるのか? 件の彼女は自殺の数ヶ月前に寺の道場に行ったらしいが、結局、精神の快復はならなかったようだ。じゃあ、どうすれば?

彼女は生前、Twitterアカウントの他にもブログを持ち、同人誌も発行するなど精力的に活動していたようだ。

続!愛をください!
第十七回文学フリマにてメンヘラ系同人誌『メンヘラリティ・スカイ』頒布 – A Mental Hell’s Angel

こうして自分の病や狂気を(時には自虐的に)客観視して表現し、その上で世に問うのも一つの快復若しくは適応の手段かもしれない。しかし私には、これらの彼等自身に、そして世間に対する効能も正直少なからず疑問視している。現状ではこれらの作品もまた、『メンヘラ系』という一つのジャンル、それもキワモノの娯楽の一つとして収斂されてしまい、結局世間の無難な場所に追いやられたきりになるのでは。当然ながら、病や狂気そのものに価値があるわけではない。問題は、病や狂気からどれほどの価値を生み出せるかどうかなのだから。そして、こういうスタンスやメソッドでは、それぞれの病から自律した何かを創り出すところまでにはそう至らないのではないかと思う。

だいたい、おのれのトラウマやら心の闇やらをネタにして、それだけで世間で芸として通用する才能の持ち主などそう多くいるわけではない。しかも、めでたく?そういう芸風でなまじ成功して通ってきたアーティストは大抵において悲惨な人生に終始している。例えば太宰治や尾崎豊や山田花子の作品にいくら価値が有り現在も求められているとしたところで、肝心の彼等自身が救われていたとは到底思えないのだ(話はずれるが、華倫変は『デッド・トリック!』の路線が成功していればもう少し長生き出来たと思う)。そして、その彼等の人生もまた一つのエンターテインメントとして処理され、消費されてしまうわけだ。

つまるところ、病も狂気も傷もトラウマも、ひとえに外部に曝すべきものではないのだ。何も自ら望んで進んで、それこそ自分の最も暗く辛い部分、そしてそれ故に己の精神の核を形成していると言ってよいものを、世間の一時の暇つぶし、凡百のネタとして提供することはないのだ。既に十分傷ついているのだから、これ以上自ら傷を深くするいわれは無い。既に散々笑われているのだから、これに加えて自分までが自分を笑いものにすべきではないのだ。傷も病も、手負いの獣たちがそうするように、群れから離れて穴蔵にでも籠もり、独り静かにじっと絶えて、ひたすら自分で舐めて抱えて、ただ傷が塞がっていくのを待つしかない。——そして、その過程の中で、傷口の膿の中から培養された別種の何かが芽生えてくるのを待つしかない。自虐を飯の種にするのはそれこそリアクション芸人だけで充分だ。

『絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである』
(※自殺した彼女のブログ記事より)

『おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな』
『宙船』中島みゆき

 

以上、学生時代には特にメンヘラでも何でも無く、当然それを売りにするわけもなく、もちろんリスカなど論外、当然リトルボーイを持ち歩くことなど思いも至らないという、いたって平凡かつ順当な生活態度だったにもかかわらず、「お前っていつも、精神病院の待合室から逃げ出してきたみたいな人だよね……」とか何故か言われたことのある私の意見でした(`・ω・´)!

蛇のごとく粘着だが、羊のごとく惰弱。

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