草なぎが「人って夢のために頑張るっていうじゃないですか?」と問うと、タモリは「夢があるようじゃ人間終わりだね」とバッサリ。
タモリ 夢持つ生き方を非難「夢があるようじゃ人間終わりだね」 – ライブドアニュース
タモリは「夢の達成される前の期間は、まったく意味のないつまんない期間になる」と指摘し、そうした人生を「悲劇的な生き方」と断言してみせた。さらに「夢が達成されなかったらどうなるんだ?って話だよね」とも口にした。
(※太字筆者)
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この記事に対するコメントでは賛否両論だが、要は「夢なんて言ったり持ち出すのは大抵が現実逃避で、今の自分や現実に満足できてない不幸な人間。今の自分を、ここに在る現実を受け入れて生きなきゃ結局いつまで経っても幸せは感じられない。だから『夢』なんて持つよりとにかく今を充実して楽しんで生きろ」ということだと思う。もっとも当のタモリ本人は、またそういう教訓めいた解釈をされること自体を鼻で笑うに違いない人だが。
タモリ 夢持つ生き方を非難「夢があるようじゃ人間終わりだね」 – ライブドアニュース
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夢中になってるひとは今の自分をみている。夢を追う人は現実にない都合のいい未来の自分ばかりみている。そりゃねぇ(特大ブーメラン直撃中)
確かに、「夢」などをやたら持ち出して来たり、素晴らしいもののように見なして思い込み語りたがる人の大方は、自分の理想や理想の自分ばかりをそれこそ夢想して追いかけていたり、追いかけようとしているならまだましで、それこそ夢想しているだけで、今現在の現実や自分自身から目を逸らしているだけなのだ。持つとしたら、曖昧で途方もない「夢」という代物ではなく、具体性と期限と実行を明確に伴う「目標」なのだ。「夢」を現実に叶えた人というのは、まさに口では「夢」とは言っていたものが、その実は現下の己の現実を見据えた上での明解なヴィジョンと計画に基づいた「目標」であった、という人なのだ。
タモリ 夢持つ生き方を非難「夢があるようじゃ人間終わりだね」 – ライブドアニュース
持論だけど、夢に時間制限付けると、目標になるんだよね〜。邁進してる人が持ってるのは夢ではないことになるから、合ってるかも。
2015/05/12 01:39
そして、仮に首尾良く運良く「夢」を叶えられたとしても、その辿りついた場所も目標も実現された時点にれっきとした現実と化すのであり、それに飽きて満足できなくなったらまた新たな「夢」を思い描いて追い続けなければならなくなる。そして肝心の、れっきとして唯一存在しているはずの現実というのはさらに希薄になり、現在の自分自身はさらに空しく不安に追い込まれてさらに夢想に溺れてしまう……という悪循環。それに気づけない人間は、肝心の現実の、実在の自分が最期まで充足や幸福を得られないまま終わってしまうのだ。
しかし、傍から見ればどうあれ、ともかくも「夢」らしきものに最も貴重な時間と労力を費やし、ほんらい体験できるはず、あるいは経験すべきの様々なものを顧みず 犠牲にし、そして結局何も叶えられなかったどころか本来同年代が当然のように手にしている、身に付けているべきものを何一つ得られなかった、という人生を目下過ごしている人間にとって(もちろん私のことだが)、上掲のタモリの言い草ほど残酷な、それこそ夢も希望も救いも無いものはないのである。まったくもって真理なだけに!
タモリはおそらく生来こういう真理に気づいていた、というより元から考えもせず無為のままに、まさしく己の人生そのもので体現し得たからこそ天才なのであり、私のような愚かな人間はそれこそ夢なんぞ見たくても見られなくなったような歳になるまで一向に目覚めることができなかったわけである……とは言っても、今さらその現実を直視すればするほど、やり直しも修正しようもなく絶望的な状態であることのみが理解できるだけなので、そういう人間がこの先どう生きたらいいのか、といえば、やっぱり再び新たに儚くあてどない「夢」を思い描いてそこに溺れ続けるか、開き直って刹那的にやり過ごすしか術が無いのだった。
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