——神代の昔、弟のスサノオの狼藉に怒ったアマテラスは、天岩戸に引き籠もった。そして世界は闇になり、さまざまな禍が発生した。そこで、八百万の神々は相談して知恵を出し合い、ある作戦を行った。アマテラスの籠もる岩戸の前で鶏を鳴かせ、占いをし、榊の枝に八尺瓊勾玉を掛けて捧げ、祝詞を唱え、アメノウズメが神憑りして踊り、それを見ながら神々は一斉に笑った。これを聞いたアマテラスが訝しんで天岩戸の扉を開けて覗いたところ、岩戸の脇に隠れていたタジカラオがアマテラスを岩戸の外へ引きずり出した。——
冬至、もしくは日食の暗喩とも、王権の代替わりの寓話とも言われるこの神話、他国にもギリシャ神話のデメテルとペルセポネーのエピソードとか、神話というと微妙だがキリストの復活とか、類似のものが色々あるらしい。
いずれにせよ、世界の、そして神の死と復活と重ね合わせてその物語を創ってきた人々が、その実は己の命や生活の力の維持と増幅の願いを込めてきたわけだ。その為に定期的に神に祈り、祭りと称して音楽を奏で唄い踊り様々な芸をする。それに触れる度に神は喜び、再び世界に戻り、そして世界は明るくなり人類はその恵みを得る。
世界そのものの事象と一個人の行為や内面があっさり直結してしまう発想やシチュエーションを俗に「セカイ系」というようで、一昔前に流行ったりした。しかし、どんな非力な個人でも、世界というか実社会に対する何らかの影響を微細ながらも及ぼしうるもので、そして神(という存在が有るのなら)はどんな卑小な個人でも、仮にも人間が世界に、そして神に対して向かい合い、真摯に語り捧げたものならば、扉を開いてそれ相応の報いと恵みを与えてくれるものだと思う。そして、神ですら嘆き沈むことがあるように、この自分が何千回と精神の岩戸に落ち込むことが有っても、岩戸の向こうの世界には素晴らしく楽しく美しく、拙いながらも見て聞いて触れて、そして語るに値するものがまだまだ溢れていて、そしてそういう世界に粘り強く戻っていこうと思う。
……とか、やたら大上段にカッコ付けて書いてしまったが、結局は手前勝手に些事をだらだら不定期に書いていくだけの平凡な一ブログになると思います。それでも、読んでいただける方には感謝の意を捧げますm(__)m。
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「ゔにゃ〜(寒いから早よ閉めれ!! 邪魔しないどくれ!)」