11月 012015
 
ジュリア・パストラーナ 画像
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義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入 義手・義足の“欠損女子”に会えるバーに潜入 このエントリーをはてなブックマークに追加

これまた賛否両論の事例である。私としてはやはり、動機や方針、結果、効果、効用はどうあれ、「生来のもので自分が望んだわけではない、自分の意志や努力では治したり変えることのできない特徴や欠陥を『売り』にして世間に認知してもらうこと」に対しては、たとえその本人が望んだことであったとしても、とうていポジティヴな評価はできない。まして、それに性的な要素が含まれていればなおさらである。

ある特徴なり欠陥なりを貶めるか蔑むか、避けるか排除するか攻撃するか、認めるか萌えるか楽しむか笑うか持て囃すか羨むか、いずれにしても、それらが結局は世間(の多数派)の評価にもっぱら依存していて、それに依存しなければ社会的にも認知されてアイデンティティを持つことができず、しかしそれ以外の手段が実質ほとんど無く選択肢も与えられていないという状況において、無邪気にそれをアピールして居場所や利益を得てしまうことは、長い目でみれば自分の今後の選択肢や可能性が狭められたまま、そして世間でのそういう待遇や扱いを温存したままにしてしまうことになるのでは。彼女たちが真に望んでいるのは、(実質)一部の特殊嗜好者や(下衆な)好奇心で訪れる野次馬のためのバーではなく、それこそ一般のバーやカフェで「健常者」の同僚たちにごく自然に混じりながら同等に働いて、その仕事ぶりで評価されることではないだろうか?(幸い、件の「欠損女子」はそれぞれきちんと本業を持っているようだが)

「正常」と「異常」についての一考 ―「世界で最も醜い女性」ジュリア・パストラーナを例に | THE NEW CLASSIC [ニュークラシック] 「正常」と「異常」についての一考 ―「世界で最も醜い女性」ジュリア・パストラーナを例に | THE NEW CLASSIC [ニュークラシック] このエントリーをはてなブックマークに追加

そして、やはり私が懸念するのが、以上の記事のようなメソッドが一般にあまりに称揚されすぎてしまうと、むしろ自分の障碍に触れて欲しくない、あまり公にせずまして売りにもしたくない、こつこつと「健常者」と同様のスキルを身に付けて、一般の社会に淡々と溶け込んで地道に自力で生きていきたい、と望んでいる人たちの「権利」や望みを阻害することになってしまうのではないか、ということだ。「障碍や欠陥が有ったっていいじゃん、堂々とカミングアウトして生きればいいのに。むしろ売りにしちゃえるぐらい強かにならなきゃ!」とかなんとかいう人たちに限って、じゃあ自分がたった今手足を切り落とすなりしてタレントデビューしたいか、それを上手いこと利用して有名になったり一財産築けるつもりなのか、とか問われたら必死こいて首を横に振りまくるだろう。実際、世界に目を向ければ、たとえば乙武洋匡と同様同等の意欲と能力を持ちながらも、否応も無くフリークショーの芸人として生涯を終えざるを得ない「障碍者」の人々が未だ大勢いるのではないだろうか。

なぜ欠損女子バーの記事にもやもやするか(私はもやもやしてない。念のため) – シャーペン雑記 なぜ欠損女子バーの記事にもやもやするか(私はもやもやしてない。念のため) - シャーペン雑記 このエントリーをはてなブックマークに追加

自分の障害を性的対象にされたくない障碍者にとってはこの記事は不快なものになる可能性があるだろうし、ある特定の集団がまとめて性的対象とされうるのではないか、という意味では障害の有無に係らず読者が不安を感じてもおかしくないと思う。

あと、この記事を読んだ人が、ほかの欠損女子に「こういうのがある!君たちも自信を持て!」と望まない人に対して押し付け始めたら怖いなあとも思う。

 

そういえば、私など、かつて学生時代のサークルでの扱いに耐えかねたことがあって抗議したことがある。……もう、いい加減に寄りにもよって毎回毎回、同じ日の同じ場所で何度も何度も、私ばかりをちょっとした失敗やら言動やら外見やら服装やらあげつらって、皆でネタにして笑って盛り上がりたがるのは止めてほしい。いったい、私と他の同期の部員と何がそれほど違うというのか、おかしいというのか? 私だって先輩方とも同期とも、それこそ手足の数も脳味噌の作りも働きもまったく同じ人間なのだから、どうか私ばかりを大っぴらに馬鹿にするのはほどほどにして、どうか皆と同じように対等の人間として扱ってもらいたい、私にだって、他の皆と同じように、傷ついたりする感情やプライドを同じくらいには持っているのだから……と。実際にはここまで言語化して筋道立てて言えたわけではないのだが、とにかく当時は精いっぱい勇気を振り絞って、自分の正直な気持ちを分かって貰えるように必死で説明し訴えた。

『花咲ける孤独』p.81「ノゾミカナエタマエ」(c)山田花子/青林工藝社

『花咲ける孤独』p.81「ノゾミカナエタマエ」(c)山田花子/青林工藝社

「だったら、お前ももっと努力して皆と同じようにマトモに普通になるか、そうする気が無いんならもっと上手くギャグにしてみせれば? もう少し器用にならなきゃ」「ある意味、特別扱いしてやってるんだから。本当にどうでも良かったらシカトしてるし、それともそうされたいの?」「もっと自分を客観的に見てさ、笑い飛ばせるぐらいの余裕があるのが大人だよ」「山田花子(芸人)とか林真理子とか見習えよ、ブサイクでも開き直って成功してるじゃないか、それぐらいの強さがないと生きていけないよ」「ホーキング青山とか、障碍を堂々と売りにしてて立派だよな。ああいうのを本当のプライドっていうんだよ。下手に否定したり隠したがったりする方がよほど無様で下品だね」……等々が、その私の切なる要望に対する回答であった。

そんな一件の後、相変わらずちょっとした言動や発言をあげつらわれてはアホとかキ○○イとか精神科の入院患者だとか繰り返されて、しょうがないので、ご忠告どおりに「そうですねー、やっぱりキ○○イですからね(^_^)a」とか、仰る通りに冷静に周囲の空気を判断し、断腸の思いで自分を抑え頑張って「軽く」「笑い飛ばして」見せたら、果たして「なんだよ、開き直りかよ、甘えんな‼︎」とか本気でキレられ、もう何が何やら……結局、自分を上手い具合に笑いものにどうしても出来なかった私は、やはり世間的には、無能なくせに無駄にプライドばかり高くどうしようもなく未熟で幼稚な箸にも棒にもかからない人間であって、その評価はおそらく正しく、そしてこれからもそういう評価に甘んじていかなければならないのだろう。

『花咲ける孤独』p.158「チューリップ幻術」(c)山田花子/青林工藝社

『花咲ける孤独』p.158「チューリップ幻術」(c)山田花子/青林工藝社

かくして、私がたどり着いた先は、道化にもフリーク扱いもされない代わりに路傍の石のごとく見捨てられ顧みられることのない侘しい孤独であった。それでも、やはり周囲の暇つぶしや慰みものとしてのみ居場所や存在意義を辛うじて恵まれながらの日常よりは遥かにましなのだ。まして、そうすることで一銭でも投げ与えてくれないというならばなおさらのことである。

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