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以上の記事について色々と反発・反論が出ているが、確かに、「ネトフェミ」というレッテルや語感はまた要らん方向から誤解や偏見を招きそうだし、また、ルミネの謝罪も私的にはパーフェクトとは思っていないが(単純にルミネ側の企業としての意図や見解をもう少し聞いてみたいところだ)、概ね冷静な分析と提案であると私は思う(やや批判先への悪意や皮肉が強いが)。要は、「怒りそのものは至極もっともだが、その怒りに囚われるあまりに手段と目的を履き違えてはならない」という話なのだ。
例えば、左翼運動などは一部の過激派がテロリズムや内ゲバに走ったせいで現在のところ、共産主義思想そのものがうさんくさい目で見られるようになってしまった。いや、実のところ左翼思想史や共産主義じたい、私は殆ど知らないんですが(^_^;)、とにかく、私にも含めて「何となく怖い」「なんか理解しづらい、付き合いづらい」というイメージが付いてしまっているのは確かだと思うし、フェミニズムの現状にも正直似たようなところがある気がする。
さらに大袈裟に言えば、「先進国」の中東諸国への直接間接の介入や搾取、差別が酷いのは事実だが、かと言って、マスコミを襲撃して丸腰の作家や編集者を撃ち殺したり、迷い込んだ民間人の首をちょん切って見せびらかしたり、観光客を惨殺して回ってもどうにもならない、ということなのだ。結局、中東そのものへのイメージ、大半の一般の中東出身者の偏見だけが悪化するだけになってしまった。
とはいえ、やはり未だに女性への偏見や抑圧が厳然としてあるのは事実だし、社会や権力の構造を変えるには正攻法ばかりではそうそう効果が上がらないのも確かだ。じゃあ、一体どうすれば?
……それが分からないから、私はBLに走ったんですよね(^_^;)。そもそも、神様が「人間が一人じゃいろいろと大変だろう」とか余計な世話を焼いてアダムから肋骨を引き抜いたときから、男と女の諍いは始まったのだ。そもそも性別、性なんてものが存在しなければ、この世の揉め事の半分以上はきれいさっぱり無かったのだ! いっそ、全世界の男がみんなゲイに、女が腐女子になってしまえば、男女差別なんてものは雲散霧消するに違いないのだ。もっとも、そうなると人類そのものが雲散霧消する、という声が聞こえてきそうだが、皆が平和に愛し合い、夢見ながら滅んでいけるのならその方がよほど望ましいのではないだろうか?
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