2月 122014
 
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テレビドラマ『明日、ママがいない』に関してはTwitter上だけを見ても様々な立場から意見や議論が出ている。

こちらは施設側および施設出身者側から意見。
ドラマ「明日、ママがいない」第1話へ児童養護施設関係者からのツッコミ – Togetterまとめ
ドラマ「明日、ママがいない」第1話へ児童養護施設関係者からのツッコミ”の続き – Togetterまとめ
「明日、ママがいない」施設出身者の方々の反応 – Togetterまとめ

こちらは創作、表現する側からの意見。主に表現の自由と視聴者のリテラシーの観点から。
「明日、ママがいない」漫画家、クリエイターなど創作を生業とする方達の反応 – Togetterまとめ

視聴者の立場からの意見。
慈恵病院の“「明日、ママがいない」放送にあたりまして”についての個人的雑感。 – Togetterまとめ

ちなみに、こちらはバラエティーだけど制作側の意見の参照として。
松本人志、『ガキ使』BPO審議で「番組やめたい」「テレビは毒にも薬にもならなくなる」 | ビジネスジャーナル

私的には、「表現の自由を守れ」側の「現実と虚構を混同する方が悪い!」という言い方にはどうにも諸手を挙げて肯定はできない。振り返ってみて、大ヒットして一世を風靡し未だに世間の記憶に残っているようなドラマなりバラエティなり漫画なりアニメなりetc.……で、世間に影響をまったく与えなかった作品というのが有るのだろうか? いちいち例を挙げるのは滅茶苦茶大変そうなのでやらないが、もし「現実とフィクションは全くの別物、娯楽として割り切るべきもので、現実とは何の関わりも無いもの」という見解や認識が正しいならば、何故、大河ドラマや朝の連続ドラマの舞台誘致に各地方自治体が躍起になるのか? フィクションであるはずの映画『永遠の0』が、なぜ「文部科学省【選定】」とかいうことになっているのだろうか? それらのフィクションの、何らかの実社会への影響力を期待してのことでしょう?

多かれ少なかれ、創る側はその作品に触れている間だけでも本気で事実のように感じて感動し、そして観た後も心に留めておいて欲しい、願うことならば受け手のその後の生活や人生にも何らかの痕跡や影響が微かなりとも有って欲しい、と思いながら創っているもので、また受け手の側でも、少なくとも作品を観ている最中には作品内で繰り広げられる出来事をそれなりに事実然として楽しみ、それで面白ければ実生活でも余韻に浸ったりするものだ。

このところ、クラシック作曲家・佐村河内守のゴーストライター&詐病騒動が持ちきりだが、佐村河内氏を信じてCDを買ったり褒め称えていた人々を一笑に付して済ませることはできない。佐村河内氏本人は動機はともあれ「全聾の天才作曲家・佐村河内守」という物語をそれこそ人生を賭けて創り上げ演じ、世間全ての人々がそれを「真実」と信じて感動してくれることを心底望んでいたのだ。加えて、その「創作」を極めて優れた技術と知識で支えてくれるパートナーが存在したわけだ。ある意味での情熱と確かな技量を兼ね備えた「フィクション」と捉えれば、そりゃ「感動」自体はしてしまっても無理の無いことでは?

まして、本当に優れた虚構ならば下手な評論やドキュメンタリー以上に現実の真実、そして現実の人間の心理を鋭く突き、それこそ現実そのものに匹敵するリアリティを、そして説得力を有しているものなのだ。エンターテインメントとしてもメッセージの面でも優れた作品であればあるほどそうなる。とにかく、「表現」とか「創作」というものにはそれだけの力が有るのだ。むしろ、実社会や実人生へ影響を及ぼし得ないような、言ってしまえば何事も何人も傷つけないような創作物は価値が無い、そもそも創る意味が無いとも言える。

とりわけ若い世代、とりわけ子供たちにとって、こうしたフィクションが占める存在感は、大人達が推し量るより遙かに大きい。自分の子供時代を振り返ってみれば分かることだ。子供たちにとっては、漫画やアニメ、ゲームなどの世界が時には現実に劣らない実感を持って受け入れられ、そのキャラクターの行動や言葉は、親、教師、識者などの大人のそれよりも遙かに強烈な影響と説得力を持っている。

つまり、いくら親や周りの大人が「これは現実とは違うよ」「こういうことを実際に真似しちゃ駄目だよ」とか言って教え諭したとして、大半の子供は上辺ではうなずいても、内心では親よりもキャラクターやフィクションの方を選んでいる。まして、良くも悪くも子供は己の本音や欲望に正直だ。自分の感情や判断で「これは面白い!やりたい!」と思えば、たとえ大人に逆らうことでも、むしろ大人が禁じていればいることほど嬉々としてやりたがるのだ。……かつて『キン肉マン』が流行っていた頃には毎日のようにクラスメートからその超人技を掛けられ、『北斗の拳』放映当時には毎日のようにクラスの男子から北斗神拳の標的にされ続け、そして『聖闘士星矢』ブーム時にはこれまた毎日のようにクラスで隙あらばペガサス流星拳やら彗星拳やら叩き込まれる……といった子供時代を送った私が言うんだから間違いないm9(`・ω・´)!!

現に『明日ママ』にしても実際にショックを受けたりからかわれたりする事例が出ているようだ。
「明日ママ」で子供の被害報告15件 全国の養護施設、自傷行為も (産経新聞) – Yahoo!ニュース
日テレのドラマ「明日、ママがいない」への声 第2弾 番組見て恐怖の記憶が甦り、リストカットした若者も | 水島 宏明

慈恵病院の件も含めて、流石に放送中止まではやり過ぎとしても、それこそこうした「現実」の被害を露わにし、抗議すること自体は認められるべきだし、まして無視したり切り捨てたりして済ませて良い、とは思わない。表現者、とりわけ子供向けの創作を行っている側には、ある意味親や教師、PTA以上の責任を背負っている、と言えるし、少なくともそういう気概や認識を持っていて欲しい、と思うのだ。

結局、こうした誤解、批判、そして実際の被害や犠牲を引っくるめて真摯に受け止め、それでも尚且つ己の伝えたいことのために表現を続けていく覚悟を持つものだけが表現者、創作者と成る資格が有る、ということだろう。要は、「自由」には責任が伴う、というわけだ。もっとも、これは「抗議する自由」にも言えるんだけどね。

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以上のような作り手側と受け手側の葛藤に関して述べている記事。
『明日、ママがいない』問題について。作り手と受け手の想像力の相克 | 杉本穂高

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