※該当作品のネタバレを含みます。
※該当作品が本当に好き、という方々にとっては極めて不快な見解が含まれているので、閲覧はおすすめしません。
以前に当ブログに吉田秋生『詩歌川百景』第一話に対する(ネガティヴ)な感想を書いた記事を掲載したが、それは以下のような文で締めくくっている。
もちろん、今後のこの『詩歌川』のストーリーが進むにつれて、ヒロインの母親側の視点や内面そして祖母の側の苦悩や欠落などにもゆくゆくスポットを当て掘り下げていくような展開にでもなってくれれば、私などのこうしたモヤモヤは雲散霧消し、これまでに書き連ねた駄文などはいっさい無用のものとなるわけだ。そして、この『詩歌川百景』がそうした新たな視点とテーマを描いてくれる物語になってくれることを切に願いつつ見守っていきたい。
というわけで、もう少し気長に見守っていこうと思いつつ、先日に発売された第1巻を続いて読んだわけであるが……正直なところ、もうこの時点で違和感どころか完全に不快そして怒りを禁じ得ないという段階に遂に達してしまったので、異論反論は承知の上でそれらの主な部分をいっぺん吐き出させてもらう。
まず、この巻において最大の突っ込みどころというか正直あぜんとしたところは、第3話「美女は野獣」において、主人公で旅館「あづまや」従業員の和樹が弟の窃盗疑惑について大女将の娘である女将(ヒロイン・妙の伯母)と妙の母親に呼び出され事情を聞かれるエピソードである。この下り、女将と妙の母の行動が大女将からも妙からもひたすら酷く愚かしい所業のように執拗に激しく責められて非難されているのだが、実情として接客業それも老舗の旅館をそれも噂の広まりやすい狭い観光頼みの田舎町で経営しているという立場で、雇用主として従業員の素性や身辺について神経質になるのはやむを得ないことだろうし、さらには一従業員の私的な事情や都合よりも利用客の安全や風評被害を優先して懸念するのは旅館や接客業に限らず一経営者としては相応に妥当な判断にみえるしそれほど糾弾されるような酷い対応や判断とは思えない。しかも実際にかなり黒に近い盗難疑惑が身近で持ち上がっているという状況である。むしろ、それこそ大した根拠も証拠もなくいきなり一方的に「パワハラだ」とか「辞めさせる気だろう」とか決めつけて、しかもこの件には実際にまったく無関係な未成年の臨時バイトの分際で盗聴をやらかし、しかもそれをネタに言わば上司にして実の母親と伯母に脅迫まがいの圧力を掛ける妙のやり口の方がはるかにドン引きだし実に腹立たしい。その上、大女将もそんな孫娘の行為と態度を上司そして祖母として諫めるどころか、寄りにもよって口裏合わせの隠蔽工作をやらかしたうえで、娘たちそれも一人は歴とした女将という立場の二人をひたすら「バカ娘」と断罪し痛罵するという、まさにこちらのやり口の方がよほど経営者として社会人として、そして一人の親として甚だ横暴でまったく配慮に欠ける行為ではないのか!?これらの妙と大女将の所業が作中の誰からも批判や苦言めいたものがないどころか、主人公の和樹の口を借りて畏怖すべきだが正義の行為として描かれて締められていることに、不快や怒りを通り越してただただこちらの感覚や常識めいたものとのあまりの乖離に驚愕したというのが偽らざる感想である。
だいたい、和樹当人や和樹の境遇に同情する友人たち知人たちそして和樹に感情移入している読者などからはともかく、彼や彼らにまったく関わりも知識もないごく一般の他人などから観たとすれば、およそ大女将が以上の件でしたことというのは、自分と自分のお気に入りの孫娘が贔屓している一介の従業員とその身内を完全な私情と独断のみで擁護し、その身内がやらかした(疑いの濃厚な)犯罪を自身の権力と人脈でもって隠蔽し、しかも曲がりなりにも経営側としての判断と職務上の権限を行使したにすぎない管理職の部下そして娘たちの意志と面目を否定してズタズタに潰すという、そのまま同族経営の横暴なワンマン会長のやり口である。加えてその威を借りた孫の臨時バイトは、これまた和樹の弟の窃盗の噂を流したらしい(これもまた確たる証拠があるわけではない)近所の知人男性へ要らん皮肉をかます。べつにとくに迷惑行為をやらかしているわけではない単なる常連客に対して、ただ個人的に気に食わないというだけで陰険な対応をやらかす従業員の方がよほど経営上の実害をもたらしかねないと私には思えてならないのだが、目下、これらの彼女たちの所業について大方の読者たちが何らの反発や憤慨を示していないどころか、まったく問題にされることなく「瑞々しく繊細で切ない感動の人間ドラマ」として受け入れられ賞賛されている事態に対して、私などは尋常ならざる衝撃と底知れない不安と恐怖すら感じているところである。
だいたい、出戻りの妙の母親はともかくとしても伯母の方は「向いていない」ながらも歴とした女将として、早くに夫を亡くしてからもまだ幼い息子を育てつつ、相応の不安や苦労も抱えつつ曲がりなりにも務めてきたはずである。そんな彼女たちが現在やらかした「女将として相応しからざる所業」らしきもので目下わかっていることといえば、アメニティの選択やフロントに飾る生花のセンスが大女将の意に沿わなかったことと、大女将お気にの訳ありな従業員に対して旅館経営者として妥当と思われる範囲内で事情の説明を求めた、ということぐらいしかないのだ。それだけの情報しかない状態で、彼女たちを「主人公やヒロインを困らせ傷つけるダメな母親、自分勝手な女」として見なしてヒロインに感情移入するどころか、私などはもっぱら困惑そしてヒロインや祖母に対しての嫌悪感が募る一方なのだが。確かに妙の母親も伯母も老舗旅館を切り盛りする技量や適性にはあまり恵まれてはいないのだろう、とは思われる。しかしそれはたまたま生まれついた実家の家業に不運にも「向いていなかった」という以上のものではない。しかし、大女将である彼女たちの実の母親は、まさにそのおのが家業への技量の不足をもって、おのが実の娘たちを「立派に成長しなかった子」と断じてその全てを否定し、周囲の年寄り連中もそれに同調して「子育てっていうのは難しいわね」「子育てなんてしょせん思い通りにならない」とかあっさり宣って彼女たちの不出来をただ揶揄するだけである。確かにそういうものだとしても、「自分は女将としては成果を上げられたけれど、あの子たちの母親としては至らないところがあったかもしれない、頑張ってきたけれども間違ったことをやってしまったのかもしれない」とか少しは顧みても良さそうなものだが!率直に観て、上掲の件も含めて彼女たちの母が「大女将」としてやらかした娘たちの扱いをみても、彼女が「母親」としても娘たちに対していかに独善的かつ一方的な態度で育ててきたかはおよそ検討はつくのだが。娘たちが内心で母親への反発や反感を育み、たとえ拙くとも母親と違ったパーソナリティや感性を持つに至ったのはむしろ必然の結果であろう。しかし結局、大女将たちが辿り着いた結論というのは、もっぱら自分たちを尊重してくれる、自分が労せずして得られた従順で出来が良い孫たちを自分の誉れとして称揚し溺愛し、片や自ら育てたはずの意に沿わない娘たちは「生まれつき不出来な、私に相応しくないハズレの子」として存在そのものを否定し、自らの親として有り得た欠落や責任からは目を背け否定しようとしているのだ。
さらには、こうした大女将たち、そしてその歪な分身というべきヒロイン・妙の娘たちあるいはおのが母親たちへの態度というのは、実はそうした構造を肯定し自らの物語に組み入れた作者についてそのまま当てはまっている。この『詩歌川百景』でまた顕著なのが、前作『海街Diary』に登場した和樹の母親・陽子のその後についての描写である。確かに、男に依存し続けあげくに息子たちの放棄やネグレクトに陥りついに養父母に絶縁され消息不明……という顛末はひとえに本人の責任であり因果応報ではある。しかし、私などから見れば、前作の冒頭に登場するだけの、主人公たちに対してとりわけ大した悪事や悪意があったわけではない、端的に言えば本来は主人公・すずが異母姉たちと同居するきっかけをもたらすための装置にすぎない程度のキャラを、わざわざ次作でも繰り返し取り上げ、執拗により貶めるようなエピソードを追加する必然があったとはどうしても思えない。当作での主人公・和樹の厳しい境遇や苦悩を際だたせる、親子の断絶と葛藤というテーマを強調するための必然という以上の悪意をどうしても感じてしまう。自業自得とはいえ夫や交際相手からの暴力を受け続け息子たちと引き離され肉親から見捨てられ、現在はおそらく悲惨極まりない状況に陥っているであろう……というひとりの女性をひとつの世界にあえて作り上げておいて、その上で同じくその世界に作られた人間たちがこぞってさらなる嫌悪や断罪や軽侮あるいは無関心をそのひとりの女性に対して重ねていく……という手法は、はっきり言っていじめの構造そしてDV加害者の思考そのものとどうしても重なって見えてしまう。その上、一方では同じく実の子供たちを捨てて再婚を繰り返したというひとりの男は、みずから捨てた娘たちからも継子からもそして赤の他人の住民たちからも許され慕われ続けているという設定!片や「実の息子からも見捨てられるような最低の、何の取り柄もない最低のダメ女」というレッテルの元に(作者による)悪意のスケープゴートに仕立てられ、片や同様の罪も落ち度も欠陥もすべて無きがごとくにされて許され擁護され続ける……という図式に対して現実の読者たちも、なんらの公平性や客観性も欠如した極めて歪んだものであると感じられず、その世界を「優れた美しい物語」としてのみ受容し続けるならば、その人たちも属する世界もまた何らかの歪みに無自覚に侵されているはずだと私は断じる。
以上、とにかく私としてはこの作品からは、やはりどうしても作者の持つ(無自覚な)ある種の悪意や病理を否定し看過することがもはやできなくなってしまった、という結論である。もっとも、その悪意や病理というものはこの私の中にも別の種類や形で存在していて、それを否応なしに刺激してくる、というのが実際なのかもしれない。しかし、それでもこの作品そして物語そして世界に対して、肯定や称揚や賛美ばかりが溢れ、わずかでも違和感や苦言、なにより怒りや恐怖を訴える者が私以外に現れないならば、この世界の方が明らかにその病理や悪意に極めて許しがたいほどに鈍感であるかあえて黙殺しようとしているもので、ならばなおさらこの私の、この作品に対する憤りと恐怖をあらためて訴え主張していかねばならぬと決意するものである。
コメント失礼します。海街diaryの感想記事に共感した者です。個人的印象になりますが、作者の吉田秋生さんは男性同士の友情というかブロマンス?のようなものを書かれるときは随所に熱意とこだわりを感じられるのですが、女性同士のやり取りになると変にギスギスさせたり悪者認定した相手を徹底的に断罪したりとかなり偏った描き方をされるような気がします。やはり作者ご自身が女性であるため、経験上嫌いなタイプの同性を描くときはたとえフィクションの中であっても厳しくなってしまうのかなと思います。特に男性同士の友情や恋愛に憧れを抱いていて女性同士の関係を見下しているタイプの女性は創作物においても女性キャラにやたらと厳しい態度を取りがちであり、作者の方も典型的なそのタイプかと。ただ一読者としては正直作者の中の個人的な好き嫌いはどうでも良いので、作者が嫌いな人物像を作中でこき下ろして満足しているということが伝わってくると非常につまらなく感じますね。そこはプロとして公私混同せず一線を引いてほしいものです。
コメントありがとうございます。
ご意見にほぼ同意です。ただし吉田氏には初期の「櫻の園」のような女子同士の関係の機微や友情を描いた作品もあるので、とくに女性間の関係を総じて見下しているというわけではないと思います。私としては、おそらく主に実母に対する不満や葛藤などがいまだ吉田氏の中で上手く昇華しきれていないのだろうと考えています。
>ただ一読者としては正直作者の中の個人的な好き嫌いはどうでも良いので、作者が嫌いな人物像を作中でこき下ろして満足しているということが伝わってくると非常につまらなく感じますね。そこはプロとして公私混同せず一線を引いてほしいものです。
この点については強く同意します。やはり「海街diary」にしても最新作の「詩歌川百景」にしても、背景や心理描写や演出などには素晴らしく魅力的な部分が多いので、それだけに以上の点がどうしても気になるところです。
吉田秋生さんのファンですが、一言私も感想述べさせて頂いてよろしいでしょうか。アマノイワトさんご指摘の第三話の智樹盗難疑惑についてですが、私としては若女将と妹のやり方は激マズだと思います。
その事に関して大女将や一緒に働く妙があのように激怒するのは当然です。
しかも和樹本人ではなく、弟に対する疑惑で家族を責めるのはお門違いも甚だしい。それにまだなんの証拠もなく、あくまでも疑惑の段階なのに事務所に呼びつけたのは何のため?上手くして辞めてくれないかな、という意図も見え見えです。大女将が和樹に肩入れしてるのは彼が単に可哀想な境遇の子だからというだけではないと思います。一生懸命仕事してるからですよ。仕事に興味を持ってくれる若者は貴重です。それを育てていくのは大切な事です。
それを身内のあの段階では不確かな罪で責め立てて潰してしまうなんて経営者としても人間としても絶対やってはいけない事です。それこそあなたの大嫌いな弱い立場の者に対するイジメではないですか?それを諫めて何がいけないのでしょう?
その件で大女将の母親としての資質を唱えるのは如何なものかと思います。
大女将も娘達の事を悩んでサンバママに相談したりしてるのだし、当たり前の母親像だと思います。
私に相応しくないハズレの子だなんて思ってないと思いますよ。それは完全に邪推だと思います。
確かに作者の吉田秋生さんには何か母親という者に思い入れがあるのかもしれません。あなたがどのぐらい吉田作品読んでらっしゃるか知りませんが、様々な母親父親を描いてこられています。因みに私はデビュー作から読んでます。
描きたいものを描いてついてこない読者もそりゃいるでしょうとは思いますが…
長くなりましたが、作者の人格や果ては我々ファンの事も否定するような文言があまりにも散見されましたので意見させていただきました。
貴重なご意見ありがとうございます。
私としては、当の作品に関してはこの記事で述べた見解がすべてであり、今後も一切変わることはないと思います。私が大女将だったら件の娘たちには釘を刺すというかじっくり話し合う場を持つとして、ひとまず何を置いても先に妙のことをぶん殴ってますがね。やはり、孫娘のあんなやり方や態度を寄って集って容認して正義のように描く作者の感覚は到底容認できません。
作者が描きたいものを描くのはもちろん自由ですが、あまりに作者個人の好悪やそれによって極端に偏向した価値観と一方的な視点ばかり見せつけられながら話を進められるのは辟易しますね。そして、そんな歪んだ世界観に疑問や違和感を持つことなく楽しめてしまうというのは、作者のスキルによる演出や展開の巧みさに無自覚に感化されて、作者の歪んだ視点に取り込まれてしまっているのでは、と思えてなりません。
返信ありがとうございます。
しかしながら、私なら妙を真っ先にぶん殴るとは?
それこそあなたの仰る一方的な断罪になるのでは?
どうも仰ってる事に矛盾と違和感を感じるんですよね。危機管理上、妙の行動は正しいですよ。世間では様々なパワハラ等で泣き寝入りのような事が起きてます。それを防ぐ為には、誰しも防ぎたいですよね?録音という手段は必要と思います。Bluetoothの使い方も危機管理上適切です。これが機転が利くって事なんじゃ?最初の感想文で仰ってた口裏を合わせの隠蔽とは?副住職の事仰ってるのですか?あれも副住職の機転です。不確かな事でこれ以上大事にしてはという和樹への配慮です。本当に今の段階では証拠がないのですから副住職も本当にわからないのでしょう。それに被害がお香典ではなく、お布施ですからね。お寺側も大事にしたくないというのはあるのでは?
以上の事からこのエピソードで妙と大女将ばかりを責めるあなたの意図がまるでわかりません。智樹の窃盗はどうやら本当の事かもしれないですが、その件で和樹を責めるというのはあの段階ではどう考えても間違ってると思いますよ。それを厳しく叱責するのは経営者として当然です。
寧ろそれが当たり前の世の中になるべきと思います。弱い立場の人々が泣き寝入りしないためにもね。
あなたはあなたの感想を貫けば良いと思いますが、偏った作者の価値観云々並べていらっしゃるご本人に最も偏った矛盾と偏見が見られたので意見せずにはいられませんでした。言葉が過ぎた箇所もあったかもしれません。ご容赦を。
ご意見ありがとうございました。
私には妙や住職の行為は機転とは思いません。あれは自分の立場と権力を十全に認識した上で利用している狡猾さですよ。自分たちの行為が本当に正しいと思うなら、たとえどんな相手であろうと直に冷静に向き合って正面から批判し真摯に諭すべきです。それを自分たちに都合の悪いことはなあなあにして、気に食わない相手の意思や意見を否定して封じ込めるというやり口は、それこそ若女将や妙母が和樹に対して目論んだ「パワハラ」と同根のものだとは思わないのですか?私は別に妙母&若女将を擁護しているわけではなく、妙と大女将の態度とやり方があまりにアンフェアで不当だと言っているのです。まさに田舎や小集団を仕切っている嫌らしい権力者のやり口そのものです。いくら妙母たちの考えややり方が良くない、和樹を守りたいからといって、目的が手段を正当化できるわけではありません。
それでも妙母たちの所業が到底許しがたいものであるとしたいのなら、大女将は娘たちをそのようにしか育成できなかった、自分のこれまでの経営者として母親としての在り方を根底から考え直してもっとシビアにおのれや娘たちと向かい合うべきなのですよ。これまで何十年と娘たちを接してきて、いったい何を伝えてきたというのか?どれだけ娘たちとコミュニケーションが成立していたのか?それを、馴染みのパブだかなんだかで愚痴って「出来の悪い子供を持つと苦労するわよね〜仕方ないよね〜でも孫たちは出来が良いからいいんじゃない〜」とか慰められて機嫌よくして終わりなんて、大女将そしてそんなオチで良しとする作者に正直呆れ果てましたが。
あと、近年どころかとうに子供向けのアニメや特撮などでも、たとえ主人公側を苦しめる悪役たちにしても、彼らがそのように成らざるを得なかった背景などを掘り下げて描写し、もちろんそれで許したり同情を誘うではなく、しかしそれなりに理解できるようにもう少し多面的に深みのある人物造形や描写をしています。過去の吉田作品もそうだったはずです。この話や「海街」などのように「コイツがダメなのはコイツがもともと生まれながらに愚かで劣悪で救いようがないからだ。すべての元凶はコイツらで、主人公やヒロインは何の落ち度も無い被害者で絶対的に守られ愛されるべきなのだ」というような偏った二元論はまず無かったはずなのです。
重ねて申し上げますが、私が当の作品に言えることはこの記事に書いたことが全てであり、今後も変えるつもりはありません。
再度申し訳ありません。勿論御意見感想変えて頂く必要はないと思いますが、どうしても矛盾を感じるので
≫私には妙や住職の行為は機転とは思いません。あれは自分の立場と権力を十全に認識した上で利用している狡猾さですよ。
立場と権力を利用してるのは、若女将姉妹なんじゃ?だから、それを諫めてるのでは?
副住職は半分おちゃらけで、誰に罪を着せるでもなくあの場を和やかに終息させた機転では?
でも、大女将としては和やかばかりでは済まないんですよ。なんと言っても身内のやらかした事ですからね。そもそも弟の過去の犯罪を持ち出して和樹が何故今責められなくてはいけないのですか?毎日一生懸命仕事してる代償がこれ?
なら娘達も関係者の前で釘を刺しておく必要あると思いますよ。今後のためにも。
次に妙ですが、あの時守が助けを求めて来てましたよね?あの話を聞いて彼女も冷静に逆上したと私は見てます。とりわけ母の愚かな行動に嫌悪したのでしょう。頭の切れる子ですからやるでしょう。その行為まで大女将が咎めるというのはどうなんでしょう?本末転倒では?被害に遭ってるのは同じ従業員なんですよ?
私としてはこの事件、スピード感のある終息でスッキリしましたがね。
アマノイワトさんの理論で行くと、立派と言われてる人はどこまでも立派じゃなければいけないんですかね?
確かにやり過ぎといえばそうかもしれませんが、女将業を任せてるしかも、もういい大人になってる娘達が情けない!と、つい雷が落ちちゃったんじゃないですか?
非常にデリケートな案件ですから、若女将は本来なら社長(息子だけど)か大女将、和樹の直属の上司である倉石さんにまず相談すべきなんですよ。なんで絢子なの?というかあれは絢子にひきづられたんだろね。
まあ長女は他所で女将修行したほうが良かったかもね。本来なら経営に期待してたのは婿殿だからね。不幸にも若くして病死してしまったけど。
でも、そこは別にこの話のテーマじゃないから。
≫大女将は娘たちをそのようにしか育成できなかった、自分のこれまでの経営者として母親としての在り方を根底から考え直してもっとシビアにおのれや娘たちと向かい合うべきなのですよ。これまで何十年と娘たちを接してきて、いったい何を伝えてきたというのか?
これですが、物語はまだ始まったばかりですよね?結論急ぎ過ぎですよ。これからそういう場面も出てくるかもですよ?
それに大女将の子育て云々てこの話のテーマですか?
≫この話や「海街」などのように「コイツがダメなのはコイツがもともと生まれながらに愚かで劣悪で救いようがないからだ。すべての元凶はコイツらで、主人公やヒロインは何の落ち度も無い被害者で絶対的に守られ愛されるべきなのだ」
これもよく分からない。生まれながら愚かなんて誰も言ってないでしょ?海街diaryでもそんな事感じませんでしたけどね。寧ろ元凶云々はあなたが仰ってるんじゃありません?海街diaryのコメントも読ませて頂きましたが、特に浅野さんに対して。不倫して子供達捨てるような浅野さんが何故許されてるんだと。母親はあんな扱いなのに。
だからそこなんですよね。偏った矛盾と偏見を感じるのは。完璧を求め過ぎと思います。
今回も妙と大女将が出来過ぎであるが故に周りから賞賛されるばかりで、本人達は傲慢な描かれ方をしてるのに誰も異議を申し立てないのがおかしいって事ですよね?
だからこれからですよ。
様々な事件(温泉街だから小さな出来事だろけど)を主人公たちと一緒に読者も考えて行くのが見所なんじゃないですか?
最後まで読んでみて評価すべきと思いますが、途中今の段階でそんなに嫌悪を感じてまで読む必要ないのでは?
まあそれは各々の自由なんですけどね。
私も余計な事申しました。冒頭でファンの方は見ない方が良いと仰ってましたもんね。
長々と失礼しました。
>でも、大女将としては和やかばかりでは済まないんですよ。なんと言っても身内のやらかした事ですからね。
この理屈ならばそれこそ和樹の側にも通用してしまうし、そこをあえて無視するのはアンフェアだと言ってるのです。身内の犯罪で従業員の責任が問われるのはおかしい、というのは確かに正論ですが、それならば、なおさらあんな狡猾で姑息な策を弄して疑惑そのものを隠蔽したり妙母サイドを殊更に攻撃し断罪する必要はないでしょう。「本人ならともかく家族の事情はうちになにも関係ないんだし、要らん心配をして従業員に余計な手間や心配を掛けさせるな」とあっさり構えていればいいはずです。
>様々な事件(温泉街だから小さな出来事だろけど)を主人公たちと一緒に読者も考えて行くのが見所なんじゃないですか?
最後まで読んでみて評価すべきと思いますが、途中今の段階でそんなに嫌悪を感じてまで読む必要ないのでは?
実際、私もそのように考えて「海街」を最後まで読み続けていましたが、結局、すべての元凶であるボンクラクズ父親は最後まで許されっぱなしなどころか美化すらされる一方で母親はスポイルされたままで終わりましたからね。したがって、私はもう今後は「詩歌川」の続きは読まないと思いますし、あれを好んで楽しんで読んでいるファンを不快にさせるような言及をすることはおそらくないのでご安心下さい。これからも、自分(作者)らの気に食わない「愚かな女」にすべての悪と悪意を押し付けて、自分(作者)らとその健気で賢く繊細な同志や崇拝者だけで清く美しい世界を作って、それをただ楽しんで賛美できるというなら、確かにどんな感想も受容も自由ですから、それは決して侵害はしません。
こんにちは
前回もコメントさせていただいたのですが、私は、このお話の流れの中に、以前の「海街」でもあった、話の展開の中に現れる様々な矛盾を所々感じています。もしかしたらそれは、4ヶ月に1回というこの連載の形ゆえ、一回ごとに何らかの形で話を完結させる必要があることから出ているのではないかと思っています。
今回のこのブログを読んで、今後アマノイワトさんは、この物語を月刊誌でもコミックでもお読みになることはないのではないかと思うのですが、実は私は、様々な矛盾を感じながらも、もしかしたら、と期待しながら月刊誌の連載を読むことにしています。
っで、アマノイワトさんは、もう詩歌川には嫌悪すらあれ興味はないという状態かもと思いながら、失礼ながらここにコメントさせていただきます。
ここでアマノイワトさんが問題視した第3話の智樹にまつわるお話。実は、連載が始まる前の海街スピンオフから続いているお話です。スピンオフの冒頭に出てくる智樹が香典を盗んだ云々。
それが今回の第3話に引き継がれているのですが、私は勝手に、これは智樹や和樹の話ではなく、チラチラと登場する原光司さんのお話なんだと勝手に考えていました。
大女将が第3話で言っているように、智樹は10年も前、子供の時にこの街を出て行った人間。数年前、智樹が厚生施設に入所が決まった際、兄の和樹が会った時、目の前にいたのは「見知らぬすさんだ」少年だったのに、その智樹を、原さんは智樹と認定できた、、、、少なくとも原さんは認定できたと主張しているのです。
変〜〜〜〜。
第7話の完結した今現在、この事の真相は明かされていません。しかし、私は、第3話で副住職がかばったのは、智樹ではなく、原さんだったのではないかと思うのです。
それと、私がわからなかったのは、なぜ、女将と妙母は和樹をやめさせたかったのでしょう?やめさせてどうする?湯守の見習い希望者って、そんなにたくさんいるのかしら?和樹がやめたら困るのは「あづまや」の経営じゃないのかしら。もしかしたら、原さんは(この街以外に行き場のない人間として描かれているようです)妙母に取り入って、自分が和樹の場所に入りたがっているのかもしれない、いやもしかしたら、妙の母と一緒になって、老舗「あづまや」の内部に入りたいのかも、、、、、などなど、妄想は広がります。
智樹は和樹にお金の無心をしたとスピンオフでも第3話でも語られています。和樹はそれを断っています。つまり、和樹と智樹は連絡を取れる状態なのですが、和樹は母陽子とは没交渉???
では、弟智樹はと母陽子の関係はどうなんでしょう?一緒に住んでいる?少なくとも連絡を取り合っている?それとも、陽子は、智樹さえも捨ててしまった???わかりません。でも、今後明らかにされるのかなとも思っています。
第7話にまた、この陽子の話が出てきます。
詩歌川百景は、いきなりたくさんの人々が出てきてしまい、妙が主人公らしいのだけど、妙の視点で話が進むわけではなく、どこを見たらいいのかわからなかったのですが、もしかしたら、この和樹と陽子の関係を中心軸の一つとして、温泉町の人間模様を描いていくお話なのかしら?っと思い始めているところです。
さて、アマノイワトさんの仰る様に、妙の母や、叔母である元女将(降格させられたそうです)を一方的に「だめ」な部類にカテゴライズしてしまっている観が否めないのではあります。
でも、「母と娘」に焦点を当てると、「海街」で、幸たちの母親が御墓参りをするシーンで母都が「望んでいる様な娘になれなかったけれど」という様なことを語る場面があり、幸はそれを見て、「この人も、娘だったんだ」と思う場面がありました。個人的には、この場面はとても印象的でした。幸の心が、母に対して少し和らいだ瞬間だと思ったからです。
大女将と元女将&妙母の関係、妙母と妙の関係、元女将とその娘麻耶子の関係、「母と娘」の関係が今後どんな風に展開していくのか、私はとっても興味があります。
私個人は、作者吉田さんが、どのような生い立ちなのか、どのような家族関係を持ち、親に対してどのような考えを持っているのか、全くその辺りはわかりませんし興味もありません。私の吉田作品への初めての出会いが、入院中にお見舞いにいただいた「海街」で、有名なBANANAFISHはその後KINDLEで読んだ程度なので、海街とこの詩歌川しか知らないとも言えるからかもしれません。
ただ、海街やこの詩歌川百景でも、すずの父親「浅野さん」が、「繰り返し許され続ける」のは、むしろ、この母と娘のお話の中において重要じゃない存在だったからなのではないかと思います。追求するにはあまりに「些細な」存在なので、とりあえず、いい思い出にしておこうか、っと。
この浅野さんは、詩歌川第7話では、妙母の姉の口から、「家族を捨ててまで一緒になった女性に死なれると、すぐにまた新しい女性とくっついた」男として語られています。また、和樹の友、剛の姉の泉の子供の父親は、その存在さえ語られていません。妙の父親も養育費を「値切ってきた」せこい父親として語られています。その母親、神楽坂のおばあちゃんは好意的に語られているのに、父親の言動に関しては「仕方ない」と。これは許しているのではなく、見切った、と私には思えました。母と娘の関係をより突き詰めるためには、父親に関する是非なんかどうでも良いって感じ。
父親は許され慕われているのではなく、どうでも良い存在なんだなぁ〜っと、やはり感じずにはいられません。
私の勝手な物語の典型への妄想を書き込ませていただきました。
度々のコメント、ありがとうございます。たいへん冷静でさまざまな配慮に満ちたご意見、感謝しております、
件の盗難疑惑の真犯人というか黒幕が原光司というのは、私はまったく予想していませんでした。鈍いですね。しかしこの先、kuroさんが仰るとおりの展開になったら、というか実際に高確率でそういう展開になりそうで、これまた正直なところ辟易しますしさらに失望しますね。
「海街」でも「詩歌川」においても、母娘の関係が主要なテーマであり「父親」はそれを成立させ引き立てる舞台装置でしかない、というご見解は概ね首肯できますが、「海街」では結果、母親はその法事の一件以降、それ以上の描写も進展も成されないまま主人公姉妹たちからも作品世界そのものからも、父親同様の「どうでも良い存在」と結論され切断されて終わっているので、「詩歌川」においても結局はまた「愚かな母親」を「賢い娘」そして息子たちが断罪してフェードアウトさせられて終わるんだろうな……と、その辺りのテーマの掘り下げについては私はほとんど期待できないでいます。